私たちはだれのもの
祈り) 天の神様、私たち一人一人に新しい目覚めをありがとうございます。 この新しい目覚めも、今日出合う一つ一つのことも、 神様あなたに与...
祈り) 天の神様、私たち一人一人に新しい目覚めをありがとうございます。 この新しい目覚めも、今日出合う一つ一つのことも、 神様あなたに与...
私たち一人一人は、いつでもどんな時でもどんな場所でもできることがあります。 それは、人を思うことです。 心配することや、妬むことや、恨むこともできますが、 心の中心に神様を置いて、自分の思いを神様に委ねるのなら、 その願いや思いは、心配や妬みや恨みではなく、愛に変えられるのではないでしょうか?
今、ご一緒にお読み致しました聖書の箇所マタイ4:23-25の最後の文章に「大勢の群衆が来てイエスに従った」と書かれています。 イエス様に従うとはどういうことなのでしょうか。 イエス様に会うことができない、現代に生きる私たちはイエス様に従っていないのでしょうか。
今、ご一緒にお読み頂いた聖書の箇所 「エフェソ2:11-13」において「異邦人」という言葉が出てきます。 「ん?何だか聞き慣れない言葉だし、ちょっと差別的だな」と私は感じましたが、皆さんはどうでしょうか?
「今日は朝からイエス様のお話を聴いたから一日私は良い行いができるわ。」と張り切ったとしても、 自分の理想通りに動けなかったり、思っていたような結果が出なかったりして 「やっぱり今日もダメだったわ。」とか「私ってやっぱりダメね。」 と思ったりしたことがあるのではないでしょうか。
今、ご一緒にお読み致しました聖書の箇所の 「1コリント3:10-17」の語り始めにおいて、 イエス・キリストを土台としない建物の結末は滅びだと なんだ恐ろしいことが語られています。 建物を建てる時は土台はとても大切だということを、私たちは知っています。 大工さんが建物を造る時にどんな土台を使ったのかは ...
「知恵」とはなんのことでしょうか。似ていますが「知識」とは違います。 今、ご一緒にお読み致しました聖書の箇所の「1コリント2:6-16」においては 繰り返し「この世の知恵」と「神からの知恵」とを語ります。 「この世の知恵」は滅びるが「神からの知恵」は滅びない。
執り成して下さる霊とは何のことでしょうか。 それは神様です。 霊と言われるとどうも頼りなく、本当に信じて良いのか 疑いたくなる方も少なくないかもしれません。 では、このように言いかえるとどうでしょう。 「霊とは神様からあなたに贈られている思いですよ」 「あなたをいつも神様は大切に守って下さいます...
暑い日が続くと思ったら急に寒くなったり、皆さん体調を崩されたりしていませんか? ご自分でいくら注意して歩いていたとしても、どこからか何かが飛んでくるかもしれません。 私みたいに車椅子ですと、自分自身で外出を控えるどころか ほとんど強制的にどこにも行けなくなります。
私たちが今生きている世界って、とてもとても大きく感じることもあれば、 とても小さく感じることもあります。 自分自身の存在もとても大きく見えたり、小さく感じたりします。 でも、実際の大きさは変わりません。 変わるのは自分の持つ価値観です。 その価値観も自分がいる環境や状況、年齢でも変わって行きます...