
第十課 愛と自由
イエスさまの愛は命令や義務感でなく、自由で自発的で喜びに満ちたものです。その愛が「他ならぬこの私のためだ。」と知る時、人は喜びに打ち震えます。全く新しい世界に生まれ変わった経験をするのです。
イエスさまの愛は命令や義務感でなく、自由で自発的で喜びに満ちたものです。その愛が「他ならぬこの私のためだ。」と知る時、人は喜びに打ち震えます。全く新しい世界に生まれ変わった経験をするのです。
「どんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスによって示された神の愛から、私たちを引き離すことは出来ないのです。」(ローマ8:38以下)キリストの十字架の愛を通して与えられた神さまの愛を信じて、真の喜びと平安に生きましょう。
アダムとイブの最初の罪(原罪)は、「神さまのように善悪を知る人間になりたい」ということでした(創世記3章5節)。神さまでない人間が、神さまとなるという思い上がりです。これは、すべての人間が心の奥底に持っている根源的な罪です。
パウロは最初キリスト教を迫害していました。しかし使徒言行録9章3節で、パウロは、「突然、天からの光に照らし出された。」と言います。パウロにとって、全く突然の出来事でした。そこで、イエスさまの声を聞いたのです。
教会の誕生は不思議な出来事です。奇跡と言ってもよいかもしれません。何故なら、弟子たちの誰一人、教会を作ろうなどとは考えていなかったからです。
十字架の出来事は絶望でしょうか。そうではありません、神様はイエス/キリストを三日目に復活させ、罪と死に対する勝利を宣言されました。復活は復活のキリストの勝利です。
私たちの世界は因果応報、合理的で、理屈に合っていると考えます。「信仰を持てば、救われる」「善い行いをすれば、報われる」「勤勉に働くなら、善い給料がもらえる」という考えです。 ところが、イエスさまは罪人を救うため、敵のために命を捨てて下さったのです。
イエスさまは、「神の国の福音を宣べ伝えて、『時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい。』」(マルコ1:15、...
それでは、イエスさまは何をなさったのでしょうか。次の文章が、その内容をよく表しています。「イエスは町や村を残らず回って、会...
イエス・キリストの誕生、クリスマスの出来事です。クリスマスは、喜びの時ですが、同時に感謝と祈りの時でもあります。 「感謝の...