自分の存在価値 ~かけがえのないあなた~
「どうして私なんかのために」「私なんかそんな価値はありません」「私はあなたを知りません」そのような声が聞こえてきそうな気がします。
「どうして私なんかのために」「私なんかそんな価値はありません」「私はあなたを知りません」そのような声が聞こえてきそうな気がします。
金額は特に定まってはおらん。ご利益ではなく、感謝もって捧げてくれたまえ。
「○○お帰り」と言われる時に私たちはどんな気持ちになるでしょうか?ホッと安心したり。「私なんかでも待っていてくれたんだ、ありがとう。」って思ったり。なんかそれは当たり前のことに思えたり。でも、あなたの帰る場所は、あなたを待ってくれている方がおられるところにしかありません。待ってくれていると信じるか...
すべての者が、イエス様に招かれておる。だからどのような者も礼拝に出かけて良いのである。ほら、イエス様の招きの声が聞こえてこんかの?
まずは問い合わせてみること。多くの教会では結婚についての学びを行ったうえで結婚式を挙げることができるはずじゃ。
お祈りは手紙のようです。宛名がなければ届きません。 たとえ、どんなに心に思っていたとしても、相手にわかる言葉で、自分自身も納得して、自分が手紙を出したい相手の宛名や住所が記されないと、自分の希望する相手には届きません。
心配はいらん。受付があるはずじゃから、予め「自己紹介は遠慮したい」と伝えておけば大丈夫である。
「人を殺すな」と言われたら私たちは「大丈夫。そんな犯罪は起こさないと思うわ。」と言うかもしれません。でも「人を恨むな」と言われても、自分に何が起こるかもわからない今「そんなことしません」と自信を持って言えるでしょうか。
教会に行くようになり信仰を告白して初めて信者になるのである。ちなみに「信徒」という言い方をよくしておるぞ。
皆さん明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願い致します。 皆さんとお読み致しました聖書の箇所「ルカ2:25-35」は新年にお読みする聖書の箇所としてふさわしい箇所です。というのはこの「シメオンの讃歌」とされている讃歌は、毎回礼拝の中で皆さんと歌う「ヌンクディミティス」そのものだからで...