
一人ではないよね
私は九州の熊本で仕事がありました。熊本から大分へと足をのばして、 12年間メールでしかお話したことのない車椅子の同病の方にもお会いして来ました。 私が牧師ではなかったら、熊本の教会に用いられる機会もありませんでした。
私は九州の熊本で仕事がありました。熊本から大分へと足をのばして、 12年間メールでしかお話したことのない車椅子の同病の方にもお会いして来ました。 私が牧師ではなかったら、熊本の教会に用いられる機会もありませんでした。
「なーんだあなた、あの時いたの?」と思う時ありませんか? 別に小さかったとか、おとなしかったからという理由ではありません。 ただ、その人は私のことをご存じだったんだといことが最近2回もあり、 我ながら自分に呆れてしまいました。
私たちはいつも人々の中をただ黙って従って行く主イエスの姿を聖書のみ言から聴きます。 今ご一緒にお読みした聖書の箇所においても、イエス様は人々に逆らうことなく ただ、黙って従って行く姿を描き出しています。 主イエスの向かうのは十字架への道でした。
今ご一緒にお読み致しました聖書の箇所において、 主イエスがご自分が捕らえられることで弟子たち一人一人が散らされると言われます。 これは言い換えると弟子たちは自分を置いて逃げて行ってしまうと語ります。 「だからお前たちは弱いんだよ」とか「だめな弱い奴らだ」と罵るのではなく淡々と語られます。
いろいろ初めてのことに出合い、計画を立てる方々や、 様々な理由で計画しておられた方々がその通りにならないこともたくさん起こっています。 それら一つ一つのことに心を痛めたり心をはずませたり、 いろいろな思いが私たちにはあります。 嬉しいことも悲しいこともいろんな想いが複雑に絡み合う、 それが私たち...
いつも私たちが体験したり、見聞きするような大地震などの自然災害を、前もってわかっていれば。。。と何人かの方は思われるでしょう。 今、ご一緒にお読みしました聖書の箇所においても、イエス様に弟子の何人かが聞いています。
このようにお一人お一人と出会い、挨拶を交わす「今」というかけがえのない「とき」が与えられていますことを感謝致します。 それと同時に、今もなお混乱のただ中にあるお一人お一人のことを覚えて祈るしかありません。
「こんなはずじゃなかった」なんて思ったことはないでしょうか? イエス様の人生も人間的な価値観でしか測らないとしたら、 そんな言葉で表されてしまうかもしれません。 人間だとしたら、誰も泊まることのない家畜小屋で生まれ、 何も悪いことをした覚えもないのに、 当時一番残酷な刑罰とされた十字架刑へとされ...
祈り) 天の神様、私たち一人一人に新しい目覚めをありがとうございます。 そして、このようにお一人お一人と...
このように、皆さんと共にみ言に聴くときを与えられましたことを感謝しています。 帰る場所があること、それはかけがえのない喜びです。 皆さんと私、そして世界中の一人一人の帰る場所は同じ所です。 命を造られた所も同じです。同じ所から出発して同じ所へ帰ります。 お一人お一人の歩みも、人生も、寿命も、違い...