クリスマスの余韻|新しい年を乗り越える力を得るために
25日の降誕日の礼拝が終わると、ツリー等は飾ったままであってもクリスマスの余韻に浸ることもなく気持ちは一気に新年へ。これが毎年のことであったが、日曜日に降誕日礼拝を守って二日後、K保育園年長児クリスマス会が行われた。
25日の降誕日の礼拝が終わると、ツリー等は飾ったままであってもクリスマスの余韻に浸ることもなく気持ちは一気に新年へ。これが毎年のことであったが、日曜日に降誕日礼拝を守って二日後、K保育園年長児クリスマス会が行われた。
今、皆様とご一緒にお読みいたしました聖書の箇所において、天の国の例えをイエス様は語られております。お金持ちできらびやかな衣装をまとってないと祝宴、すなわち天国には入れませんよ、とイエス様がおっしゃっているのではありません。「天の国」では、お金も身分も力も必要ありません。それはたくさんのみことばが...
「夕べがあり、朝があった。第一の日である。」(創世記1:5)天地創造の第一日目の終わりの箇所である。神は創造の働きを六日間なさったが、その終わりには必ず、「夕べがあり、朝があった。」と記されている。
今日の聖書の箇所には、羊飼いたちが神様の御子イエスキリストの誕生の知らせを聞いて、喜んでイエス様に会いに行く場面が書かれています。イエス様の誕生は私たち一人一人、民全体の喜びです。羊飼いたちの姿を通して、どんなに身分の低い人たちにでも神様からの恵みはあふれています、と私たちに教えてくれているよう...
手話に興味を持っておられる方からの質問かの?わしもドラマ「silent」観てるぞ!ドラマで手話の「プリン」は覚えた! 手話...
いよいよアドヴェント・キャンドル4本全てが灯される。一週目に1本、二週目は2本と灯すローソクが増える度に、クリスマス気分も高揚し、そして「いよいよ」なのである。この習慣は19世紀中ごろから始まったといわれ、「クリスマスっていつ来るの?」という子どもの質問に答えるために作ったらしい。
「いつも私は光と共にある。」と思われる方はおられますか?では、「いつも私は命と共にある」と思われる方は?「命がなければ死んじゃうよ!当たり前なことだから意識したこともないよ。」と怒られてしまいそうですね。そうです。「私たちは命を与えられている」と当たり前に思っていても、それが神様の光によって照ら...
真間川(ままがわ)は千葉県を流れる川じゃ。江戸川から分かれて、市川市、船橋市を通り、東京湾にそそいでいるぞ。川沿いは桜の名...
「保育園の降誕劇にヘロデ王は登場しない、『ヘロデ王をやりたい』という子どもはいないから」と書いたのは先週。「ヘロデ王イコール悪役」というイメージが強いし、主の降誕という状況を説明するだけなら、無理に王を登場させる必要はないということもあるだろう。
今お読みした聖書の箇所に『宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである』(ルカ2:7)と語られています。私は聖書を読んでふと不思議に思いました。「マリアさんもヨセフさんもいやじゃなかったのだろうか?」と。でもここも神様が共におられる場所だったのです。