マタイ受難曲のバッハはルーテル教会の人!

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日本人はバッハが好き!

われわれ日本人のかなり多くがバロック音楽、それもヨハン・セバスティアン・バッハ(ここでは彼をバッハと呼んでおこう)の音楽が好きなようだ。マタイ受難曲や教会カンタータ、オルガンコンサートが大きなホールを埋めるし、『バッハ全集』(小学館)の売れ行きを聞いてもそう思った。しかしこうした音楽の多くがほとんどすべて当時のルーテル教会の礼拝のために作曲され、演奏されたことを知っていたり、これに関心を寄せる人は意外に少ないのだ。そこでバッハとルター及びルーテル教会とのかなり密度の濃い関わりを少し書いてみることにした。

バッハはルーテル教会で洗礼を受けた

フランクフルトから特急で3時間掛かるだろうか。旧東ドイツの時代には東ドイツに入った最初の町だった。この町がバッハの生まれた町である。最近ルーテル教会牧師に引率された一行がこの町を訪れ、町の中心に立つゲオルク教会を訪問した。ヨハン・セバスティアン・バッハが1685年3月に生まれてすぐ洗礼を受けた教会だからである。アイゼナッハの町はテューリンゲン地方の町の一つ、宗教改革以来この地方はルーテル教会の地域だったから、ゲオルク教会での洗礼もルーテル教会での洗礼ということになる。我らのバッハは生まれつきルーテル教会の人なのである。そもそもハンガリーのあたりの出身だったバッハ一族は、宗教改革後の早い時期からルターの信じるキリスト教の姿に同意し、カトリックを守ろうとする地域からこの地域に移住してきた一族だった。

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