見上げてごらん|天から聞こえるインマヌエル
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見上げると、ひときわ輝く星が目に入ってきた。占星術の学者たちは、捕囚のユダヤ人たちが語っていた「お前の中から、わたしのためにイスラエルを治める者がでる」(ミカ5:1)という言葉を研究し、不思議な輝く星が見えた時であることを突き止めた。そして遂に、その星を目にしたのである。彼らは早速、「治める者」に会うために、輝く星を目当てに出掛けた。長い旅の間中、輝き続けるあの星を見上げ続け、日を追うごとに彼らの期待は膨らんでいった。ようやくエルサレムに着いた時、不用意に当時の王に会った、既にイスラエルの人々は「治める者」の登場を知っているだろうと思ったからだ。王は驚いた、そして自分の王座を奪われるのではないかと不安になったが、平静を装って「見つけたら知らせて欲しい」と言って、彼らを送り出した。学者たちは再び輝く星を目印に歩みを進めたが、途中、その星を見失ってしまった。落胆した彼らは首を垂れ、ちょうどそこにあった井戸に何気なく目を落とすと、水面に美しい星が映っていたので不思議に思い、見上げると見失ったあの星が輝いていた。彼らは再び勇気を得て、ベツレヘムへ行き、「治める者、キリスト」を礼拝したのであった。「王の所へは帰るな」とお告げがあったので、彼ら別の道を通って自分たちの国に帰っていった。(マタイ2:1~12より、新聖書大辞典「博士の井戸」の項参照)
「目を上げて、わたしは山々を仰ぐ。わたしの助けはどこから来るのか。わたしの助けは来る/天地を造られた主のもとから。」(詩編121:1~2)「目を高く上げ、誰が天の万象を創造したかを見よ」(イザヤ40:26)見上げれば判る、人には決して産み出すことも創ることも成し得ないが、それらを創られた方がいることを。見上げれば与えられる、希望を、そして平安を、天地を創られた神がおられるのだから。(あの学者たちもそうだったではないか。)心を惑わし日常の煩雑さに忙殺されている時こそ、「見上げて揺るぎないものに心を向けてみようではないか」と告げた古の詩人や預言者の言葉は、今も私たちが繰り返して聞くべき言葉ではなかろうか。
今年も11月半ば過ぎから会堂を見上げる人をチラホラ見かけるようになった、サンタさんを探してくださっているのだ。ご期待にお応えしたいと、今年は衣装を新調。サンタさんもきっとこう言ってくれているはずだ、「私を見上げてごらん。そして更に私の上、教会の塔の上にある十字架を見上げてごらん。そこから、『いつもあなたと一緒だよ』という神様の声が聞こえてくるから!」と。