あなたと共に生きるために
祈り)天の神様、私たち一人一人に新しい目覚めをありがとうございます。
私たちは何の気なしに道を歩いていたり、自分の家でボーっと過ごす時があります。
でも、何気ない一日がもう二度とは帰ってこないかけがえのない一日であり、
一瞬一瞬であると感じる時に、なんてもったいないことをしたんだろうと思ったり、
もう少しでいいから時間がほしいと願ったりします。
しかし、神様あなたから与えられる「時」は、かけがえのない一人一人への十分な「時」であり、
大切な一人一人への一瞬一瞬です。
「あなたが大切なんだよ」と、いつもいつも言って下さる神様に心を向けられますように。
これから語られますみ言、この語る者を通して今、
聖霊のお導きによって聖書から聴くお一人お一人と、
皆さんの心にあるお一人お一人へ、神様あなたがお語り下さい。
この語る者の全てを神様あなたにお委ねいたします。
このお祈りを主イエスキリストのお名前を通してみ前にお捧げ致します。
アーメン。
【参照聖書箇所:ルカによる福音書2章1〜7節】
宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである。(7節)
私が思い描くキリスト誕生の絵は幼い頃から、暗い小屋の中、笑顔の馬や牛を背景に座っているマリアさんと立っているヨセフさんと天使たちに囲まれて、飼い葉桶の藁をクッションにして布にくるまれて寝かされて微笑む、赤ちゃんのイエス様の絵です。そこへ羊飼いが驚いた表情で訪れる絵や、博士たちがひざまずいて贈り物を赤ちゃんに捧げる絵です。幼い頃から教会へ通われていた方や、ミッション系の幼稚園に通われた方はページェントと呼ばれるクリスマスの劇、イエスキリストの生誕劇をやった思い出があるかもしれません。
ふと、イエス様がもっといい部屋や宿屋に泊まれていたら、どうなったんだろう?と思いました。明るくて奇麗な暖かい場所。きっと貧しい羊飼いは、イエス様の誕生のお祝いになんて駆けつけることもできず、警備の人や宿屋の従業員に追い返されたんだろうな、なんて思いました。
これは遠い昔の物語ではありません。今を生きている私たちも、暗くて寂しい闇を持っています。それは心の中かもしれません。一人一人が奥にしまいすぎて忘れてしまってるかもしれません。
でも、イエス様は忘れないであなたの持つ暗闇の中にもおられます。なぜなら、あなたが大切だから。他の人が見向きもしないあなたでも、あなた自身が呆れて見捨ててしまうような自分であっても、イエス様は共におられます。
イエス様は一般常識ではとうてい考えられない家畜小屋でお生まれになりました。それは大切なあなたのためです。どんなあなたとも共におられるためです。歴史的には二千年以上も前にこの世にお生まれになられた方。でも、今も私たちと共におられる方なのです。クリスマスはイエス様が大切なあなたと共に生きるためにお生まれになられた日なのです。
あなたはかけがえのない存在です。