神様にしっかりと抱きしめられて

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祈り)天の神様、私たち一人一人に新しい目覚めをありがとうございます。
私たちは「ありがとう」という言葉を何回言ったでしょうか。「すいません」の言葉より多いか少ないか。それは一人一人の思いが言葉通りの時があったりその言葉とは裏腹な思いの時もあります。
神様は回数や表現される言葉などで人を判断する方ではありません。私が少しでも多く神様あなたに心を向けて、私の存在をかけがえのないものとして受けいれて下さる神様に立ち帰ることができますように。
そして神様が一人一人をそのまま受けいれて下さるように、私も自分自身や出会うお一人お一人を大切に出来ますように。

これから語られますみ言この語る者を通してここにおられるお一人お一人へと神様あなたがお語り下さい。
この語る者のすべてを神様あなたへお委ね致します。
このお祈りを主イエスキリストのお名前によってみ前にお捧げ致します。
アーメン

【参照聖書箇所:詩編16篇1〜6節】
神よ、守ってください あなたを避けどころとするわたしを。(1節)

『神よ、守ってください あなたを避けどころとするわたしを。』詩編16:1と詩人は祈ります。
神様に祈る一人一人が「守って下さい」と神様に祈らないと守って下さらないわけではありません。ただ、そう祈らないと私たち自身が繰り返し繰り返し不安になるだけです。

私たち一人一人は神様に信じられています。でもそのようなことはいつもいつも心にあって「私は神様に信じられているのだから大丈夫」なんて思うことは少ないように思います。特に突然自分では予想もしていなかった出来事が起こって不安になったり戸惑ったり悲しみに突き落とされる時、「私は大丈夫,神様に信じられているから」ってすぐに思えない時もあります。たとえ言葉でそのように言えたとしても、心は不安の中にあることもあります。でもそのような時あなたは一人ではありません。私たちは目で見たり手で触ったり出来ませんが、神様があなたをしっかりと抱きしめていて下さっておられます。

神様を避けどころとする。ということは神様に立ち帰りしっかり抱きしめていただくことです。単に敵から身を隠し、敵から逃れるための盾のような避けどころではなく、神様から与えられる『避けどころ』は、あなたがあなたらしく再び立ち上がれるように神様がしっかりと抱きしめて下さるあなたへの信頼の心です。

私たちは「信頼されている」ということは、なんだか照れくさくって素直に受けいれられない時が多いのではないでしょうか。でも、あなたは神様から信頼されています。神様はあなたが神様を避けどころとして神様を思い起こすことをいつも待たれています。

神様はあなたといつも共におられ、あなたを信じていて下さいます。

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