キリスト・イエスから頂いた命
祈り)
天の神様、私たち一人一人に新しい目覚めをありがとうございます。
私たちは今を生きています。これは誰も代わることができない事実です。
こんなこと、嘘ならいいのにと思うようなできごとが、突然自分に降り掛かってくることもあります。
その現実を見ないふりをして逃げ回ることも、
なかったことのように記憶に押し込んでしまうことも、
私たちにはできます。
また、それらを今自分ができる範囲で受け止めて乗り越えようとすることもできます。
どのような自分であっても、自分でさえ自分自身を見捨てたくなったとしても、
神様は決して一人一人を見捨てることはしません。
そのように一人一人の存在を大切にされている神様を信頼できる私にして下さい。
これから語られますみ言、この語る者を通して
ここにおられるお一人お一人へと神様あなたがお語り下さい。
この語る者の全てを神様あなたへお委ね致します。
このお祈りを主イエスキリストのお名前を通してお祈り致します。
アーメン。
『キリスト・イエスによって命をもたらす霊の法則が、罪と死との法則からあなたを解放したからです。』ローマ8:2
おはようございます。
今、皆様とご一緒にお読み致しました聖書の箇所のローマ8:1-11において肉なる存在と言われている存在と、
霊なる存在と言われている存在は誰のことなのでしょうか。
それは、私たち一人一人のことです。
私たちは肉なる存在だけでも、霊なる存在だけでもありません。
肉と霊の両方からできています。
だからと言って、どちらか一方だけが良いもので、
どちらか一方が悪いものであるということでもありません。
肉なる存在も霊なる存在も両方あってあなたという一人の存在なのです。
両方の存在であるあなたを神様は愛して下さっています。
ここに一つの腕時計があります。これは私の誕生日に母からもらった大切な時計です。
たとえどんなに汚れてしまっても、止まってしまったとしても大切な時計です。
でも他の人にとっては時計なんだから、
一分一秒でもくるったら捨ててもいいものになってしまいます。
もちろん人間と時計では全く違いますが。
人間をロボットであるかのようにだけ考えてしまうと、まるで少しでも速く、そしてより精密に動くだけがいいかのように思ってしまい、
その人の大切さや、やさしさ、存在する価値さえも見失ってしまうような気がします。
それは、肉なる存在としての人間と、霊なる存在としての人間を割り切ることができなくて、
割り切る必要もないようなものであるかのようにです。
私たちが肉と霊を分ける必要はありません、必要なときに神様が分けて下さいます。
一人一人の存在全てを神様にお委ねできますように。