あなたに寄り添って
祈り)
天の神様、新しい目覚めをありがとうございます。
まだまだ寒暖の差がありますが、日の長さが長くなり少しづつ 春を感じます。
天の神様、新しい目覚めをありがとうございます。
ありがとうございます。
「当たり前のことは一つもない。今生きていることを大切にしたい。」
ここにおられるお一人 お一人へと神様あなたがお語り下さい。
アーメン。
こういうことを話していると、
今ご一緒にお読み致しました聖書の箇所においては、復活の主イエス に出会った弟子たちの話を聞いて、 不思議に感じていた弟子たちの真ん中に復活の主イエスが立ち、「 あなたがたに平和があるように」と語られ、 復活された体を証明されるために食事をされるという場面が語られ ております。
「 イエス様は十字架上で息を引き取られてお墓に葬られたはずだから、いま目の前におられるはずはない。」 と誰もが思って驚いたことでしょう。しかし、イエス様は生前「 私は三日目に蘇る」とおっしゃっていました。 誰もそんなこと本気にしていなかったのでしょう。 でもイエス様は「そんな薄情な人はもう知らない!」 と怒られるのではなく、弟子たちがわかる方法でわかりやすくゆっく りとご自分の存在をお示しになります。
私たちは常識とか物の順番とか価値観に捕われて、大切なことを見失 ったり後回しにしてしまったりすることが多いような気がします。 時々無駄な時間に感じる時間があります。 そんな時に意外なものに大切なことを教えられたりします。 それら一つひとつはイエス様が一人ひとりのわかりやすい方法で、 イエス様が私たち一人ひとりに歩み寄って下さっておられるのでは ないか、そんな気がします。
私が座っている席からきれいな桜の木が見えます。 花が咲いたのを見て「あ、この木は桜の木だったのか」と驚いたり、 新緑が茂って「桜の木は春だけじゃないんだな」 と思うこともあります。 また秋の紅葉を見て思ったりしていました。ある時、 部屋の窓から見えるあの桜の木のてっぺんは、いつも自分の席か らみている桜の木と同じなんだということに初めて気づき驚きました 。
「見る見える」「信じる信じられる」など多くのことが、自分の常識や関心で見えなくなったり信じられな くなったり、いろいろあるということを感じさせられました。 しかし、主イエスはそんな一人ひとりに歩み寄り、一人ひとりにふさわ しい方法でご自分の存在をお示しになられるのです。