わたしはあなたを知っている
祈り)
天の神様、新しい目覚めをありがとうございます。
そして、心をあなたに向けて、み言から聴けるこの時を感謝いたします。
私たちは神様、あなたからたくさんのものを与えられています。
「これは神様からいただいているんだよ」とすべてを言い切ることができないないほど、
神様、あなたから私たちはたくさんのものを与えられています。
それらの一つひとつは、いつもあって当たり前に思っていたり、気づかなかったりします。
しかし、それら一つひとつを受ける時、不安に思ったり不思議に感じたりせずに、
私たちは安心して自然に受け取ってます。
それは神様から与えられるからです。
いつも「神様ありがとう」がたくさん溢れますように。
これから語られますみことば、この語る者を通して、
ここにおられるお一人おひとりへと神様あなたがお語り下さい。
この語る者の全てを神様あなたへお委ねいたします。
このお祈りを、主イエスキリストのお名前を通してお祈りいたします。
アーメン。
【参照聖書箇所:ヨハネによる福音書10章22〜30節】ヨハネ10:22-30
わたしの羊はわたしの声を聞き分ける。わたしは彼らを知っており、彼らはわたしに従う。(27節)
皆さんはこんな光景を見たことありませんか?少し混んでいるスーパーやデパートの売り場で、迷子になって「ママー、ママー」と泣き叫んでいる子どもを。その声をしばらくハラハラしながら聞いていると「なーに、ここよ。」と、その子のママらしき声がすると、にわかに泣いていたその子の顔が明るくなって泣き止み、今度は大声で「ママどこー?」と私からは誰がどこから声を出しているのかさえわからないのに、ママの声を聞いただけで安心する小さな子どもがいる光景です。見えなくても分かり合える親子の関係は、いつも毎日を共に過ごす信頼から生まれてくるのでしょう。
今、ご一緒にお読みしました聖書の箇所の中でもイエス様は言われます。「わたしの羊はわたしの声を聞き分ける。わたしは彼らを知っており、彼らはわたしに従う。」と。イエス様はご自分を羊飼いにたとえられ、私たち人間を羊にたとえられることが多いです。それだけ当時の信頼関係をあらわすたとえとしては解りやすいたとえだったのでしょう。決して人間は家畜のようだと言われるのではなくて、人間と神様との関係は羊と羊飼いとの信頼深い関係のようだとイエス様は言われるのです。それはまるで迷子になった子どもが親の声を聞くだけで、親はその子の声を聞くだけで、お互いが安心するような関係と似ていると思います。
私たち一人ひとりも同じように神様がいつも共におられます。耳で聞こえる声だけではなく、目で見たり、心で感じたり、手で触れたり。神様からの声はいつも私たちのそばにあって、片時も離れません。その一つひとつに神様を感じ、感謝しつつ歩みたいと思います。