安心して

祈り)天の神様、私たち一人一人に新しい目覚めをありがとうございます。

私たちはいつも、いろいろな物やいろいろな人やいろいろな出来事にであいます。
それら一つ一つに思いをかけたり、心を奪われて自分を見失ってしまったりします。
一つ一つに振り回されるのではなく、いつも自分がちゃんと居ますように。
神様はいつもその他大勢の中の私ではなく、どんな大勢の中にいたとしても、かけがえのない私をいつも大切に大切にして下さいます。ありがとうございます。

これから語られますみことば、この語る者を通して今、みことばから聴くお一人お一人へ、
そしてお一人お一人の心にあるお一人お一人へと神様あなたがお語り下さい。
この語る者の全てを、神様あなたへお委ね致します。
このお祈りを主イエスキリストのみ名によってみ前にお捧げ致します。

アーメン

 

【参照聖書箇所:マルコによる福音書13章1〜13節】
引き渡され、連れて行かれるとき、何を言おうかと取り越し苦労をしてはならない。そのときには、教えられることを話せばよい。実は話すのはあなたがたではなく、聖霊なのだ。(11節)

私はよく、このように自分が聖書のみことばから聴いて書いたメッセージをまとめたものを、A4の紙にプリントしてお配りします。

先日お配りしたある方がパッとプリントを開き「こんな長い物語を書くなんて大変ね。いつもそうされているの?」という反応が返ってきて戸惑いました。「物語?」「長い?」あれ?何か違うけどそうも取れるな。妙に納得してしまいました。日曜日に教会へ行ってメッセージを話すのも聞くのも2、30分、A4の紙で言うと4~6枚です。私はその時、ショートメッセージをお渡ししたと思っていたので、「長い」と言われた時にまず戸惑いました。そして聖書のみことばから聴いて語らせていただいているメッセージは、決して物語のように自分で作ったのではなく「聖書のみ言が私を通して語られる、神様からのメッセージなのに」と思いました。

どのように言えばいいのでしょうか。今、聖書のみ言が語られます。『 実は話すのはあなたがたではなく、聖霊なのだ。』(マルコ13:11)神様からのメッセージは長い短いの問題ではありません。そして聖書から聴く一人一人へと語られます。語る人を通して、そして今、あなたを通して。神様はあなたに静かに語られます。

「何を語ろうか、とあなたは迷わなくていい。あなたを通して私が語る。乗り移るわけではないから安心しなさい。いつもあなたと共にいるからあなたは一人ではない。」