与えられているかけがえのない今 

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祈り)天の神様、私たち一人一人に新しい目覚めを与えて下さりありがとうございます。

私たちは、神様あなたに与えられる恵みの中を生かされています。
でも、生きていることをあまり窮屈に感じないで自由に生かされています。
今ある自分の命も、この「時」も、いろいろな出会いも、神様あなたに与えられているのに、なんだかあって当たり前に思ったり、奪われる時には神様あなたを恨んでしまったりします。
当たり前にあるものは一つもなく、全てのものが神様、あなたが一人一人に与えられるかけがえのないものであると、いつも感謝できますように。

これから語られますみことば、この語る者を通して今、
みことばから聴くお一人お一人へ、そしてお一人お一人の心にあるお一人お一人へと
神様あなたがお語り下さい。

この語る者のすべてを神様あなたへお委ね致します。
このお祈りを、主イエスキリストのみ名によって、み前にお捧げ致します。

アーメン

【参照聖書箇所 マタイによる福音書6章25〜34節】

だから、明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である。」(34節)

今、ご一緒にお読みした聖書の中で、イエス様は「明日のことまで心配してはいけない。神様の恵みは、あなたに必要なものは十分に与えられているんだから。」
と命令されておられるわけではありません。明日のことまで考えてしまい、心配になってしまう私たちのことを一番良くわかって下さっておられるのはイエス様です。
でも、私たち一人一人に必要なものを神様が与えて下さっておられることもイエス様はご存知です。だから、やさしく静かに言われます。「あなたは明日のことまで心配しなくてもいいんだよ。明日に限らず今も、そしていつも神様からあなたに必要なものは十分に与えられています。」と。

私は進行性の難病です。イエス様にいくら「先のことは心配しなくていいよ。」と言われても、自分はいつ車椅子になってしまうのだろうか。いつ字がかけなくなるのだろうか。いつ。。。と切りがなく恐怖に襲われてしまうことが多いような気がします。他の病気や老いの現実を抱えている方も、同じように恐怖で心がつぶされそうな方も多いかもしれません。「今日が一番若い」と言われた方がいます。老いを感じた方の正直な気持ちだと思いました。

そうです。私たちには今というかけがえのない「時」が与えられています。それは過ぎ去った時でも、これから来る時でもない、今というかけがえのない「時」です。そして、かけがえのない今という「時」が重なって、明日になり、来年になります。明日のことを心配して、今与えられているかけがえのない「時」を忘れてしまったり、明日への恐怖で見過ごしてしまうことは、私たちには多いのではないでしょうか。

『だから、明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である。」』と聖書から語られます。そして私たち一人一人に、やさしくイエス様は語られます。「あなたに今というかけがえのない「時」を与えている。共に今と言うかけがえのない「時」を生きましょう。」

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