一緒に帰ろう
祈り)天の神様、私たち一人一人に新しい目覚めをありがとうございます。
神様、あなたに与えられている「今」というかけがえのない時の中を、私たちは精一杯生きているでしょうか。
なんとなく過ごす時もあれば、たくさんの不平や不満を抱いたまま過ごす日があったり様々です。
しかし神様、あなたは変わることのない、かけがえのない「今」を私たちに与えて下さいます。
神様、あなたに与えられる全てを、かけがえのないものとして、感謝して生きることができますように。
これから語られますみことば、この語る者を通して今、聖霊のお導きによって、聖書から聴くお一人お一人と、皆さんの心にあるお一人お一人へ、神様あなたがお語り下さい。
この語る者の全てを神様あなたにお委ねいたします。
このお祈りを主イエスキリストのお名前を通して、み前にお捧げ致します。
アーメン。
【参照聖書箇所】詩編66編13〜20節
神をたたえよ 神はわたしの祈りを退けることなく 慈しみを拒まれませんでした(20節)
神様に心を向けて、神様に願い事をするときに、私たちは何か捧げ物をしないといけないのでしょうか?神様に祈る人はたくさんいるから、その中でも目立たないと、祈りは聴いてもらえないのでしょうか?いいえ、そのようなことはありません。神様は一人一人に心を傾け、一人一人の祈りを聴いて下さいます。たとえ他の人から見て取るに足らない思いや祈りであっても、神様に向けられるあなたの思いや祈りは、大切な大切なものだからです。
自分の親や目上の人に願い事や、何か買ってもらいたい物がある時に、いつも以上に親やその目上の人の言うことを聞いたり、肩を揉んだりしたことはありませんか?はたから見てると「ん?何か魂胆があるぞ」とか思えるくらい、必要以上に親やその人に気を使ってみたり。また、母親に怒られたり家にいる誰かに怒られて、家に入りづらくなったときには、他の人が帰って来るのを待っていて、何の気なしに一緒に家に入ったりしてごまかしたり。
しかし、神様に祈る時はそのような必要はありません。神様が喜ぶような何かをしなくても、もうあなたの心が神様の下へ帰って来てる、そのことがもう神様にとって喜びです。
そして神様の下へ、あなたと共にいつもイエス様が一緒に帰って下さいます。神様に祈ること、それはあなたの心がイエス様のとりなしと共に神様へと帰ることです。一生に一度だけの人もおられるかもしれませんが、何度でもいいのです。一回一回、神様はいつも同じように迎えて下さいます。
「よく帰ったね。待っていたよ。」その時もあなたは一人ではありません。いつもイエス様があなたと一緒です。
「大丈夫、一緒に帰ろう。」