私が迷っても神様が共に歩んで下さる

祈り)天の神様、私たち一人一人に新しい目覚めをありがとうございます。
私たちは「今」というこの時を歩いています。
自分にとって、どんなに辛かったり、悲しかったり、逆に今よりも喜びに満ちていたように思える、昔と今を比べてもどうしようもないと思っていても、今と過去を比べてみたりして、今の自分を批判してしまう時もあります。
過去があったから今がある。今も昔も、そしてこれからの一瞬一瞬も、神様が私と共にいて下さることを思い起こし、感謝して歩んで行けますように。

これから語られますみことば、この語る者を通して今、聖霊のお導きによって、聖書から聴くお一人お一人と皆さんの心に在るお一人お一人へ、神様あなたがお語り下さい。この語る者の全てを神様あなたにお委ねいたします。

このお祈りを主イエスキリストのお名前を通してみ前にお捧げ致します。
アーメン。

【参照聖書箇所:詩編44編2〜9節】

我らは絶えることなく神を賛美し とこしえに、御名に賛美をささげます。(9節)

私たちはいつもいつも新しいことに出会い、そのことを解決するために自分なりの判断をしながら歩んでいるように思います。それらの判断が、よかったのか悪かったのか、自分で自分をほめたり、それをしてしまった自分に後悔したり。しかし神様はその時その時、あなたが選んだ歩みを、必ずそれが一番よいと言われて共に歩んで下さいます。

 「過去と他人は変えられない」そのような言葉を聞いたことがあります。「あー、あの時ああしていれば」「あの人がこんなことしていなければ」なんて思ったりしたことがあります。私の人生(まだまだ短いかもしれませんが)を振り返っても、自分の思い通りに歩んできたとは言えません。思い通りどころか、自分の思ってもいなかった方向を歩ませてもらっていますが、今、幸せです。
細かくご説明すると、受験した高等学校には合格できず、不本意に行った高等学校で、意外にも楽しく過ごせ、大学も就職もなんとなく進み、そのなんとなく就職し、働いている時に病と出会い、また新たに目指したものとは違う道に、今、用いられています。

 一人一人、様々な出会いがあり、様々な思いや道を歩んでいます。自分が思い描いた道を歩み続けておられる人や、自分が思ってもいなかった道を今歩まれている人。それら一つ一つの道には、必ず神様が共におられて「大丈夫、あなたが選んだ道です。私が共に歩んでいるから」と応援して下さいます。かけ声だけではなく神様はあなたと共におられます。そして、あなたがつらく立ち止まる時があっても、あなたを背負って共に歩んで下さいます。

だって、神様にとってあなたは、かけがえのない大切な存在だからです。