天の神様、私たち一人一人に新しい目覚めをありがとうございます。
目覚め方一つ一つは私たち一人一人の気分や置かれた状況によって違います。
目覚めを受け取る私たちの気分や状況でどんなに違うように感じても、神様あなたから与えられる目覚めや恵みは変わることなく私たちに与えられています。
いつも「ありがとう」と言って感謝できる時ばかりではありません。時には神様あなたを恨んでみたり憎んでみたり。
それでも私たちの心が神様あなたのもとへ帰って来ることを神様、あなたはいつも信じて待っていて下さいます。
あなたに与えられる一瞬一瞬を感謝しながら生きることができますように。
これから語られますみことば、この語る者を通してここにおられるお一人お一人へと、
そしてそれぞれの心にある方々お一人お一人へと神様あなたがお語り下さい。
神様あなたにすべてをお委ね致します。
このお祈りを主イエスキリストのお名前によってお祈り致します。
アーメン
【参照聖書箇所:マタイによる福音書4章23節〜25節】
そこで、イエスの評判がシリア中に広まった。人々はイエスのところへ、いろいろな病気や苦しみに悩む者、悪霊に取りつかれた者、てんかんの者、中風の者など、あらゆる病人を連れて来たので、これらの人々をいやされた。(24節)
私は数年前、自分の身体の不調に悩んだあげく病院へ診察を受けに行きました。淡々と語っておりますが、とても勇気がいることで何年も何年も悩んだ末のことです。そこで受けた医者からの診断は「この病気は今の医学では治すことはできません。病気の進行を少しでも遅らせるように一緒に頑張りましょう」と無情にも語られました。その言葉が頭の中でくるくる回って、こんな思いがこみあげました。「今まで頑張って来たのにまだ頑張らないといけないの?病院に来たのに治せない病気があるわけ。」その時の私には絶望しかありませんでした。そしてすぐにイエス様も?私はイエス様を信じて来たのに見放された。としか思えませんでした。
そのような孤独を彷徨っている時が何年続いたのでしょうか「あなたは受け入れられている」とある神学者の言葉が語られました。お医者さんが病気を治すという意味の「治し」とイエス様がされる「いやし」の意味とは違います。イエス様は病気だけでなくあらゆる悩みや苦しみ、悲しみを持つ人々一人一人に向き合い,そのままの一人一人と共に生きて下さいます。そのままのあなたを受け入れて「生きてていいんだよ」と語り、一人一人は決して孤独ではないと語りかけて下さいます。医者には治せない病気があっても、神様であるイエス様にいやせないものは無いのです。それはあなたの期待を裏切るほどに大きくやさしい神様からの愛です。
「じゃぁ何で、イエス様を信じていても苦しみや悩みや悲しみはあるの?」と聞きたくなります。そうですあります。しかし、あなたと共に苦しみも悩みも悲しみも背負って下さるのがイエス様です。あなたをいやすためにイエス様は共におられます。たとえあなたがイエス様にさえ見放されたとしか思えなくても、イエス様はあなたと共におられそっとあなたを抱きしめておられます。
あなたは決して一人ではありません。
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