一緒に泣き、一緒に苦しむ

詩編38:1-13

38:1 【賛歌。ダビデの詩。記念。】
38:2 主よ、怒ってわたしを責めないでください。憤って懲らしめないでください。
38:3 あなたの矢はわたしを射抜き/御手はわたしを押さえつけています。
38:4 わたしの肉にはまともなところもありません/あなたが激しく憤られたからです。骨にも安らぎがありません/わたしが過ちを犯したからです。
38:5 わたしの罪悪は頭を越えるほどになり/耐え難い重荷となっています。
38:6 負わされた傷は膿んで悪臭を放ちます/わたしが愚かな行いをしたからです。
38:7 わたしは身を屈め、深くうなだれ/一日中、嘆きつつ歩きます。
38:8 腰はただれに覆われています。わたしの肉にはまともなところもありません。
38:9 もう立てないほど打ち砕かれ/心は呻き、うなり声をあげるだけです。
38:10 わたしの主よ、わたしの願いはすべて御前にあり/嘆きもあなたには隠されていません。 38:11 心は動転し、力はわたしを見捨て/目の光もまた、去りました。
38:12 疫病にかかったわたしを/愛する者も友も避けて立ち/わたしに近い者も、遠く離れて立ちます。
38:13 わたしの命をねらう者は罠を仕掛けます。わたしに災いを望む者は/欺こう、破滅させよう、と決めて/一日中それを口にしています。

祈り)
天の神様おはようございます。
新しい目覚めをありがとうございます。
私たちは今を生きています。
あなたに与えられていなければ、この命も笑顔も空気も光も、
たくさんのものの中で生きることができません。
なのに私たちは今日もあれができなかった、あれもなかったなどと
足りない物や不満をたくさんみつけて神様あなたに不平不満をぶつけてしまいます。
あるときは「あれも下さい」と祈ります。
しかし、私たちは神様にたくさんの恵みを与えられて生きています。
それらの恵みを当たり前であるかのように見過ごしてしまうのではなく
「神様ありがとう」と祈れる私たちでありますように。
「ありがとう」という言葉は何度言っても減りません。
減るどころかたくさんの人々を幸せにします。

これから語られますみ言、
この語る者を通してここにおられるお一人お一人へと神様あなたがお語り下さい。
この語る者の全てをお委ねいたします。

このお祈りを主イエスキリストのお名前によってお祈り致します。

アーメン。

 

主よ、怒ってわたしを責めないでください。憤って懲らしめないでください。  詩編38:2

 

おはようございます。
私たちは何か悪い事をしたからこんなめに遭うんだ、何か理由がなければこんなことが起こるはずはないと思い、今自分に起こっている不幸に感じる出来事の理由を探そうとします。因果応報という言葉で解決しなければいけないように思っている人が多いのです。

今、ご一緒にお読み致しました聖書の箇所においても、多分重い皮膚病を患い朽ちたり膿んでいく自分の体、とうとう視力まで失ってしまった詩人の嘆きの祈りが詩われております。
「神様、何か私は悪いことしたのでしょうか。」

私はこの詩編を読むと、神学生のときに学ばせて頂いた施設のことを思い出します。それは病気のために家族の戸籍からも消され隔離され、生殖機能も絶たれてもなお生きなければいけなかった人々の暮らす施設でした。私は何のために生きているのか。そんな悲鳴とも聞こえる言葉に、ただただ耳を傾けることしかできない実習であったことを思い起こします。

悪い事をしたから苦しい現実が起こっているのでしょうか。
病気に限らず、自然災害や事故、それら目に見えるかたちのことではなくても、お一人お一人の心の中にもたくさんの苦しみも悲しみも起こる時があります。
それは、神様からの報復ではありません。近くにおられる神様を感じることのできる神様からの恵みです。恵みだから喜んで受けないといけないことはありません。怒りや悲しみ、涙の中にあってもあなたは一人ではない。あなたは神様に信じられ必要とされ存在していることを、いつも共におられる神様があなたに囁いて下さいます。

「大丈夫、一人じゃないよ。一緒に受けて一緒に乗り越えよう。」と神様は言われます。
神様から必ずあなたにふさわしい「時」が与えられます。