第九課 ヨブ記をわかりやすく解説

 「わたしたちは、神から幸福をいただいたのだから、不幸もいただこうではないか。」このようになっても、彼は唇をもって罪を犯すことをしなかった。
ヨブ2章10節

降って湧いたような災難に遭い、朝は元気で家を出たのに夕べには変わり果てた姿で迎え入れねばならないことがあり、死ぬに死ねない事情を抱えているのに不治の病に犯されて一命を失わねばならないことも珍しいことではありません。これらの不条理の出来事はけっして他人事ではないのです。
ヨブは典型的な不条理に襲われた当事者でありました(1〜2章を参照)。この不条理に対し、ヨブ記はヨブが信仰をもって答えるところから始ります。彼は言います。「主は与え、主は奪う。主の御名はほめたたえられよ」(1章23節)、そしてまた「わたしたちは、神から幸福をいただいたのだから、不幸もいただこうではないか」と。立派な信仰者の答えをそこに見ます。
しかし、この答えをもってヨブ記は終わっていないのです。この答えを我がものとするための苦闘が始り、その展開がヨブの物語なのです。ヨブの苦闘に、神は直接的な答えはくださいません。神は徹底してヨブの苦しみに寄添うお方として姿を現わされます。苦しみを共有してくださる方がおいでになること自体が、ヨブにとって答えとなっていきます。この深みにある答えをヨブと共に共有することがわたしたちへの答えです。
宗教改革者ルターは「キリスト者は絶望ですら、選び取る勇気を持つ」と言います。彼の七つの悔い改めの詩編講解には「罪とは、すべての望みが絶たれ、神からも見放され、絶望の底にあってどこにも出口がない状態に追いやられることである。しかし、ただひとつ残された出口がある、それはキリストである」と。だからこそ、キリスト者は絶望ですら選び取る勇気を持つことができるのです。