第六課 出エジプト

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主は彼らに先立って進み、昼は雲の柱をもって導き、夜は火の柱をもって彼らを照らされたので、彼らは昼も夜も行進することができた。

出エジプト記13章21節

 

成熟した人は、いかなる状況にあっても前に向かって進むといわれます。前に向かって進むには、希望と勇気がなくてはなりません。希望と勇気は常に向かう側から来るものです。

イスラエルの民がエジプトを出て先祖たちが住んだ故郷に帰る旅といえども足を踏み入れた地は荒れ野でした。故郷に帰るには、ペリシテ街道と呼ばれる北方の近道があったのですが、神は民たちがエジプトの軍隊の追跡を受けて、元の地へ戻るかもしれないと思われて、遠く南を迂回する道筋を示されたのでした。彼らが足を踏み入れた地は荒れ野であり、困難な旅が待ち受けていました。

けれども彼らの足がどれほどたじろごうが、奴隷から解放されて自由を獲得するためには、この道を歩む以外にないのです。彼らの旅を前へと進ませたのは、旅を導く雲の柱、火の柱でした。それは常に彼らの前にあって希望と勇気を与えるしるしでありました。困難の中にあって、行く手に雲の柱、火の柱のしるしを見ることができる人は、希望と勇気を失いません。前に向かって進むことができるしるしはあっても、後ろに退くしるしはどこにもないのです。困難の中にあっては、前にのみ道は開けています。

鎌倉期の僧、道元が書いた正法眼蔵という仏典に「百尺の竿頭にたち、一歩進む」という言葉があります。30メートルほどの高さの竿の先に立って、一歩足を踏む出すということですが、言わんとするところは、人生には進むもならず引くもならず、窮地に立たされることがあっても、それでもなお、先に進まねばならないことがあるということなのです。そのような時には、人間は自分の力でそのような苦境を乗り越えることはできません。

しかし、自分の外にあって支えてくれるものがあれば、目をつぶってでも先へ進むことができるという意味なのです。エジプトを出て荒れ野を旅するイスラエルの民たちは、そのような思いで旅を続けていたのでした。その旅を支えたのは、彼らに先立って進まれる「お方」であり、その方は昼は雲の柱、夜は火の柱をもって彼らを照らされたのでありました。信仰とは、そのような「お方」を持つことなのです。

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