第五課 モーセに学ぶ
モーセは紀元前13世紀頃の人で、出エジプト記2章以下にその生い立ちと数奇の運命が記されています。新約のキリストに対比するかのように旧約の信仰を導いた人物といえるでしょう。
モーセがこの世に生を受けた時代は、イスラエルの民たちがエジプトで奴隷の生活を送っている時代でした。エジプトの王ファラオは、その民の数が増えるのを恐れ、イスラエルの民から生まれた男の子をすべてナイル川に放り込んで殺せと命令します。両親はこの子の命を惜しんで、パピルスで作った篭に入れ、ナイル川の畔の葦の茂みに隠したのです。これをたまたまエジプト王の王女が水浴びに来て見つけ、王宮に連れ帰り王女の下で育てられることとなりました。彼はイスラエルの民としては珍しくエジプト人が受ける教育を受けて育つのです。このことは、彼が後にエジプトで囚われの身となっている同胞を救い出すにあたって、有能振りを発揮し指導者としての力を振るうに至った下地を作ったにちがいありません。神はまことに不思議な仕方をもって人を育てられるのです。
彼の功績は、
このモーセの言葉に「自ら満たしたのではない、あらゆる財産で満ちた家、自ら掘ったのではない貯水池、自ら植えたのではないぶどう畑とオリーブ畑」申命記 6章11節)とあります。
モーセはイスラエルの民を率いて荒野の旅を40年送った後、彼自身は約束の地カナンにはいることなく、ヨシュアがモーセのあとを引く継ぐことになります。モーセは、約束の地パレスチナを目のあたりにして出エジプト以来の荒野の旅をふりかえり、民たちに新しい地で守るべき信仰と生活についての教えを説きました。この言葉はその教えの一節です。
人々がエジプトに400年いた間に彼らがかつて住んでいたところはすでに他民族の土地となっていました。彼らが戻ってそこに住もうとすれば、相手と戦って土地を奪い返す以外にはなかったのです。しかしながら戦いを挑んで、獲ち取ったにせよ、その土地は、自らの力による勝利の結果ではないことを知れとモーセは教えているのです。勝利の戦いの結果のなかに、実は敵の恩恵にあずかっていることがあるのだと教えているのです。
このことは、わたしたちが人生に勝利する時、その後ろに敗者がいることを忘れるべきでないことを教えます。敗者がいるので勝者がいるのです。このような物事の見方を持つなら、世の中はもっとよくなるのではないでしょうか。この世は競争社会です。勝つ者がいれば負ける者もいます。負けた者に励ましや勇気を与える言葉は多く聞きます。しかし、勝利を収めた者が戒めとして聞く言葉を聞くことはありません。しかし、聖書の世界は、そこに隠されたもうひとつのちがった世界があることを教えています。