8 できないことはしない
Q わたしは完全主義だと人から言われます。悪いことをしているのではないのだから、放っておいて頂戴と言いたくなるのですが、事を始めるとついついのめり込んでしまって、疲れ果てるまで自分を追い込んでしまいます。もう少し、余裕をもって物事に取り組みたいのですが、どうすればよいでしょうか。
A お話を伺っていると、その熱心さは見習いたい位ですね。
メシア・コンプレックスという言葉があります。カウンセリングの勉強をしている人に警告の意味でよく用いられます。他人の援助に一生懸命になって、なんとかしてあげなくてはと躍起になるものの、空回りして、あげくに疲れ果ててしまうような状態をいう言葉です。
メシア・コンプレックスに陥ると自分ではとてもよいことをしているような気持ちになり、周囲の人たちの期待に応えようとして、どこかで休みを取ろうと思っても、できなくなってしまいます。
姑の介護をしている人がいました。介護をする人といってもすでに六十代後半でした。しかし息子の嫁の手前もあり、自分がしっかり世話をしている様子を見せておかないとこれから嫁の世話になるときに示しがつかないと思い、それこそ献身的に姑の世話をしたのでした。元来、世話好きで、なんでも自分がしないと気が済まない人だったので、それこそ痒いところに手が届くような世話ぶりを発揮したのでした。
姑の方もすっかり気を許して、なにからなにまですっかり依存するようになり、あれもこれもと世話を頼むようになってしまいました。彼女としては、それに応じないと責任が果たせないような気がして、イヤと言えず、せっせと介護に尽くしたのです。しかし年月が経つにつれ、気分が次第にイライラするようになり、ちょっとしたことでも怒りっぽくなってしまう、そんな自分にほとほと嫌気がさすようになってきたのでした。
これなどは親切で人の世話をすることが生き甲斐という人が、ついつい陥りがちなことです。どこかで、自分のしていることを整理して、できることはするが、できないことはしないと決めなければなりません。それにはできることを考えるのでなくて、なにができないかを考えることが先です。簡単なようですが、同情心や責任感の強い人には難しい課題でもあります。しかしこれが仕分けられるようになると気持ちがずいぶん楽になるのも事実です。