小さな奇跡が包みます
今ご一緒にお読み致しました聖書の箇所「使徒3:1-10」において、ペトロさんとヨハネさんというイエス様の弟子である人たちが、生まれつき足が不自由で歩くことができなかった人を、自分の足で立ち上がって歩けるようにする奇跡を行います。神様による奇跡、イエス様のお名前によって起こる奇跡とは何でしょう。
今ご一緒にお読み致しました聖書の箇所「使徒3:1-10」において、ペトロさんとヨハネさんというイエス様の弟子である人たちが、生まれつき足が不自由で歩くことができなかった人を、自分の足で立ち上がって歩けるようにする奇跡を行います。神様による奇跡、イエス様のお名前によって起こる奇跡とは何でしょう。
だれかがあなたの右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい。 (マタイによる福音書5章39節 )
最近、私は特に思うことがあります。それは入院して、病院から帰って来れるのだろうかと不安に思うことです。来週には退院できると、いつも当たり前のように思っていたのですが、考えてみると当たり前の「今」という「とき」はないんだなと思いました。
今ご一緒にお読み致しました聖書の箇所「ヨハネ15:16」で、イエス様はこのように語られます。「あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだ」と。
愛には恐れがない。完全な愛は恐れを締め出します。(ヨハネの手紙一、 4章18節)
「信じる」ということは、いったいどういうことなのでしょうか。自分の思い通りに物事が進むようになれば信じられるのか、自分が納得いけば信じられるのか。逆に考えもしなかったことが目の前で起こると、いくら奇跡を願っていたとしても、信じられないほど驚かされることもあります。
漁にでる漁師さんが「わたしは漁に行く」と言っても何の不思議はありません。しかし,時と場合にはよらないでしょうか?
わたしは弱いときにこそ強いからです。(コリントの信徒への手紙二、12章10節)
四方から苦しめられても行き詰まらず、途方に暮れても失望せず (コリントの信徒への手紙二、4章8節)
神の愚かさは人よりも賢く、神の弱さは人よりも強いからです。 (コリントの信徒への手紙一、1章25節)