
一人でできなくても
イエス様はご自分の話を聞きたいと集まってきた人々に「天の国」について、そこにいる人々にわかりやすいたとえで話されます。
イエス様はご自分の話を聞きたいと集まってきた人々に「天の国」について、そこにいる人々にわかりやすいたとえで話されます。
「自分はたった一人で生きてきた」とおっしゃる方はおられますか?
今、ご一緒にお読み致しました聖書の箇所はエルサレム入城」ともいわれ、イエス様がその時代にユダヤ教で大切にされていた行事に参加されるために歩んだと語られる箇所です。
新約聖書の一番始めから読もうとして人の名前が、しかも、あまり日本では聞き慣れないカタカナの名前がずらずらと書かれていて「よし、聖書を読むぞ」という決心が何度もくじけそうになった覚えはありませんか?
「思い悩むな」と、与えられた聖書の箇所に語られています。
「神様からのお導きで」とか「イエス様のお導きで」という言葉はなんの抵抗もなく私たちは聞きますが「霊のお導きで」というのはなんとなく怪しいように聞こえることがないでしょうか?
今、ご一緒にお読み致しました聖書の箇所「使徒3:1-10」において、ペトロというイエス様の弟子の一人である人が、仲間のヨハネと、生まれつき足が不自由で歩くことができなかった人を自分の足で立ち上がって歩けるようにする奇跡を行います。
最近、私は特に思うことがあります。それは自分は入院した病院から帰ってこれるのだろうか、と不安に思うことです。
今、ご一緒にお読み致しました聖書の箇所のヨハネ15:16で、イエス様はこのように語られます。
皆さんはこんな光景を見たことありませんか?少し混んでいるスーパーやデパートの売り場で、迷子になって「ママー、ママー」と泣き叫んでいる子どもを。