
全ての一人一人に与えられている心の目
「そうかぁ、眠ってはいけないのか。神様も随分、難しいこと言うなぁ。守れないよ。」と思われる方も少なくないかもしれません。
「そうかぁ、眠ってはいけないのか。神様も随分、難しいこと言うなぁ。守れないよ。」と思われる方も少なくないかもしれません。
今、ご一緒にお読み致しました聖書の箇所において「主に結ばれているのならば自分たちの苦労が決して無駄にならないことを、あなたは知っているはずです。」(15:58)と語られています。
「異邦人」「地の果てまでに」と言葉だけ聞くといくら聖書でも差別的にも聞こえるし、極端にも聞こえるような気がするのは私だけなのでしょうか。 今、共に聴いた聖書の中で語られるみ言は聖書に登場するパウロやバルナバだけに語られているわけではなく、あなたへ今、神様から語られています。聖書が書かれた時代...
勝利しようって、神様なのに勝ち負けなわけなの? 確かに聖書には『死は勝利にのみ込まれた。』1コリント15:54とも語られています。エー!死なせてくれないの。そのようにも思われる方もおられるかもしれません。ただ、聖書で語られているのは「肉体の死だけが命の滅びではありませんよ」と言うことです。そのこと...
イエス様って私たちにイエス様の方から近付いて来て共に歩んで下さっているんですね。
「二つのものを一つにする」って簡単に言いますが、実は難しいことです。
今、ご一緒にお読みした聖書の中で、イエス様は「明日のことまで心配してはいけない。神様の恵みは、あなたに必要なものは十分に与えられているんだから。」 と命令されておられるわけではありません。
今、ご一緒にお読み致しました聖書の箇所には、イエス様が弟子の一人一人の足を洗う場面が語られており、それは何のためであるかをイエス様ご自身が語られておられます。
今、お読みし、みことばに聴いた聖書の箇所は、教会の暦の上では「受苦日」に読まれる聖書の箇所の一つで、十字架上のイエス様が息をひきとられる日としてその日を覚えます。
「あの人のことを考えると夜も眠れないわ」と聞くと、私たちは「あの子はきっとあの人にぞっこんなのね、羨ましい」なんて思う方が多いかもしれません。