
まさかの出来事|箱根駅伝の「まさか」から
2023年の歩みが始まった。ウクライナの地が戦場になるとは想像もしていなかった昨年当初だったが、その悲惨な状況は年を越しても続いている。まさか世界中が巻き込まれる感染症に襲われるとは思ってもいなかった2020年の年初、それが三年経っても明確な終息の目途も立たずに、これもまた続いている。ただし、COV...
2023年の歩みが始まった。ウクライナの地が戦場になるとは想像もしていなかった昨年当初だったが、その悲惨な状況は年を越しても続いている。まさか世界中が巻き込まれる感染症に襲われるとは思ってもいなかった2020年の年初、それが三年経っても明確な終息の目途も立たずに、これもまた続いている。ただし、COV...
25日の降誕日の礼拝が終わると、ツリー等は飾ったままであってもクリスマスの余韻に浸ることもなく気持ちは一気に新年へ。これが毎年のことであったが、日曜日に降誕日礼拝を守って二日後、K保育園年長児クリスマス会が行われた。
「夕べがあり、朝があった。第一の日である。」(創世記1:5)天地創造の第一日目の終わりの箇所である。神は創造の働きを六日間なさったが、その終わりには必ず、「夕べがあり、朝があった。」と記されている。
いよいよアドヴェント・キャンドル4本全てが灯される。一週目に1本、二週目は2本と灯すローソクが増える度に、クリスマス気分も高揚し、そして「いよいよ」なのである。この習慣は19世紀中ごろから始まったといわれ、「クリスマスっていつ来るの?」という子どもの質問に答えるために作ったらしい。
「保育園の降誕劇にヘロデ王は登場しない、『ヘロデ王をやりたい』という子どもはいないから」と書いたのは先週。「ヘロデ王イコール悪役」というイメージが強いし、主の降誕という状況を説明するだけなら、無理に王を登場させる必要はないということもあるだろう。
「宿屋さんは?」と、キリスト降誕劇で宿屋役の子どもたちが聞いてきた。卒園記念の聖書を少し早めに贈呈し、これから行う降誕劇は聖書に書いてあると子どもたちに教えたからである。保育園で行われる降誕劇は、マタイとルカの福音書の記事が基になっている。マリアとヨセフ、羊飼い、天使や星、博士に関しては、直接そ...
「いよいよ引退だ!」あっ、私の事ではなくて教会のサンタクロースの事。アドヴェントになると会堂二階の窓外に現れ続けて21年、クリスマスイブの日までほぼ一ヶ月、昼夜を問わず地域の人々にクリスマスの訪れを告げ続けてきた。
多くのルーテル教会では、11月1日の全聖徒の日の後に来る日曜日に「全聖徒主日」を守っていると思うが、私たちの教会では教会暦最終主日に「召天者記念式」を行っている。手前味噌だが、この選択はベストだと思う。何故なら、教会暦の最後と人間の地上生活の終わり、新たな一年に繋がる日と新しい生命の門出と重なる...
「神様からの祝福です!」と一人ひとりに声を掛けながら、小さなウェーハウスを手渡す。保育園の小児祝福式の様子である。コロナ禍で二年間、食べ物の手渡し行為を避けてきたために実施できなかったが、今年はビニールの使い捨て手袋使用の上で行うことになった。小児祝福式そのものは聖書にはないが、「子供たちをわた...
(92) 先月末、半年ぶりに「第五土曜コンサート」が行われた。好天もあって開演の頃には、60名ほどの方々が来てくださった。演奏者の楽しいおしゃべりも...