桃栗三年柿八年とはいうけれど|信仰の成長とは
(165) 「さて、食後のデザートにしようか」と、ある日の夕食後に連れ合いが呟(つぶや)いて、そのまま台所から庭に出て行った。それから1分後に、食卓に...
(165) 「さて、食後のデザートにしようか」と、ある日の夕食後に連れ合いが呟(つぶや)いて、そのまま台所から庭に出て行った。それから1分後に、食卓に...
突然、教会の庭に10㎝ほどの穴が現れた。見つけた瞬間、思わず「懐かしい!」と叫んだ私。20年以上前の一連の出来事が、走馬灯のように頭の中を駆け回った。
「天のお父さま、一日(ヒトヒ)の恵みを感謝いたします。きょうも子ども礼拝に集うことができ、ありがとうございます。」
集合写真、これまで何度も撮ってきたはずなのに、今年の集合写真は特別な記念写真のように感じつつ、私は最前列に座っていた。
あの日、私は姉と弟と三人だけで、引っ越し先の前にあった保育園のブランコで遊んでいた。両親と手伝いに来た大人たちは、引っ越しの荷物を搬入するので忙しかったからである。
久しぶりに奏楽者のいない朝礼拝となった。市川教会では午前9時から子ども向けに行われる礼拝を「朝礼拝」と位置付けている。
「東京の中心部でスーパーや鮮魚店などの移動販売車の運行が急拡大している。」そんな記事が目に留まった。
松戸市のK保育園の今年度最初の礼拝に出掛けた。始まるのを待っていたのは3才児20名。「牧師先生が来てくれましたよ」と保育士が入室するなり声がけすると、20人の子どもたちが一斉に振り返り私の顔をジ~~ッと見詰めてくる。
コロナ禍最初のイースターの日(と今週も同文で始めることにしよう)、次男夫婦に新しい家族が誕生した。
コロナ禍最初のイースターの日、「イースター前日の恒例の『卵つくり』は中止し、代議員さんが用意し車で運んでくださった『卵型カプセルに入ったチョコレートをラッピングしたもの』が備えられ、後略」(2020.4.12.週報)と、このエッセイにしたためた。