第一課 天地創造
神はお造りになったすべてのものをご覧になった。見よ、それは極めてよかった。 創世記1章31節 聖書がここで用いた「造る」という言葉は...
神はお造りになったすべてのものをご覧になった。見よ、それは極めてよかった。 創世記1章31節 聖書がここで用いた「造る」という言葉は...
私たちは信仰を持ってもなお罪人です。罪の力は強いのです。でも人間の努力でなく、信じる者のうちに働く聖霊(神さまの力)が働いて、人を日々新たにして行くのです。日々心を新たにして、「主イエスよ、来てください。」と祈りつつ、新しい天と地を望みみつつ、与えられた人生を喜びと感謝と希望のうちに歩み続けたい...
死は決して終わりの時でなく、永遠の世界への通過点にすぎません。私たちは、永遠の御国へ向かう巡礼の旅を続ける旅人なのです。目標が明確なので、死の影におびえつつではなく、右にも曲がらず、左にもよろめかず、確かな足取りで人生を歩み続けることが出来るのです。
イエスさまの愛は命令や義務感でなく、自由で自発的で喜びに満ちたものです。その愛が「他ならぬこの私のためだ。」と知る時、人は喜びに打ち震えます。全く新しい世界に生まれ変わった経験をするのです。
「どんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスによって示された神の愛から、私たちを引き離すことは出来ないのです。」(ローマ8:38以下)キリストの十字架の愛を通して与えられた神さまの愛を信じて、真の喜びと平安に生きましょう。
アダムとイブの最初の罪(原罪)は、「神さまのように善悪を知る人間になりたい」ということでした(創世記3章5節)。神さまでない人間が、神さまとなるという思い上がりです。これは、すべての人間が心の奥底に持っている根源的な罪です。
パウロは最初キリスト教を迫害していました。しかし使徒言行録9章3節で、パウロは、「突然、天からの光に照らし出された。」と言います。パウロにとって、全く突然の出来事でした。そこで、イエスさまの声を聞いたのです。
教会の誕生は不思議な出来事です。奇跡と言ってもよいかもしれません。何故なら、弟子たちの誰一人、教会を作ろうなどとは考えていなかったからです。
十字架の出来事は絶望でしょうか。そうではありません、神様はイエス/キリストを三日目に復活させ、罪と死に対する勝利を宣言されました。復活は復活のキリストの勝利です。
私たちの世界は因果応報、合理的で、理屈に合っていると考えます。「信仰を持てば、救われる」「善い行いをすれば、報われる」「勤勉に働くなら、善い給料がもらえる」という考えです。 ところが、イエスさまは罪人を救うため、敵のために命を捨てて下さったのです。