全ての一人一人が神様に大切な存在だから
「異邦人」「地の果てまでに」と言葉だけ聞くといくら聖書でも差別的にも聞こえるし、極端にも聞こえるような気がするのは私だけなのでしょうか。 今、共に聴いた聖書の中で語られるみ言は聖書に登場するパウロやバルナバだけに語られているわけではなく、あなたへ今、神様から語られています。聖書が書かれた時代...
「異邦人」「地の果てまでに」と言葉だけ聞くといくら聖書でも差別的にも聞こえるし、極端にも聞こえるような気がするのは私だけなのでしょうか。 今、共に聴いた聖書の中で語られるみ言は聖書に登場するパウロやバルナバだけに語られているわけではなく、あなたへ今、神様から語られています。聖書が書かれた時代...
勝利しようって、神様なのに勝ち負けなわけなの? 確かに聖書には『死は勝利にのみ込まれた。』1コリント15:54とも語られています。エー!死なせてくれないの。そのようにも思われる方もおられるかもしれません。ただ、聖書で語られているのは「肉体の死だけが命の滅びではありませんよ」と言うことです。そのこと...
イエス様って私たちにイエス様の方から近付いて来て共に歩んで下さっているんですね。そして、驚いたことに悩んでいる私の心に「どうしたの?」と言って寄り添って下さる。私は、そのようにいつも私の心に寄り添って下さるイエス様に気付いているのでしょうか。私が気付いても気付かなくても神様であるイエス様はいつも...
マリアは言います。『私は主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように。』ルカ1:38 これは「神様、私はあなたに仕えています。(信じています。)あなたが用いて下さることを信じて私の全てをお委ね致します。」と言うことで決して「神様、勝手にして下さい。」と自分を投げ出してしまうこととは違います。
バッハの没後、遺産目録が作成され、それに従って妻や子らに遺産が相続された。そこに音楽関係のものが一つもないのが注目を引く。恐らく音楽家である息子たちが逸早く持ち去ってしまったのだろう。その遺産目録のトッ
晩年のバッハの自筆はかなり乱れている。白内障だったから、そのせいかも知れない。結局この白内障の手術を、施療のため訪独中だった著名な英国人医師から受けて術後の経過が悪く亡くなったのだった(市内の教会墓地に埋葬されたが、その後トマス教会聖壇地下に改葬されて現在に至っている)。
バッハの教会音楽に対する市参事会や聖職者会議の無理解は次第に教会音楽からバッハを離れさせることになった。市参事会とは世の常のとおり、教会音楽のために割かれる出費をめぐってのものだったが、聖職者会議とはその
バッハは教会カンタータを生涯に5年分(約300曲)作曲したと「故人略歴」には書かれているが、残されているのは約200曲で、多くがライプツィヒ第1期に作曲された
ヨハネ受難曲(1724年)とマタイ受難曲(1727年) ライプツィヒでは聖金曜日夕にトマス教会とニコライ教会において隔年で...
バッハの正式の任務はライプツィヒの音楽監督で、トマス教会とニコライ教会のほかに、市内の他の二つの教会の礼拝音楽にも責任をもたねばならなかった。そのためにトマス学校生徒を4グループに分け、日曜毎に4教会に