あなたと共にいます
今日は記念日です。いったい何の記念日でしょうか。 それは私が初めて大学病院へ行き、自分の体を調べていただくために入院手続きをした日なのです。 「なーんだそんなことか」と思われた方も少なくないと思います。 記念日なんてそんなものかもしれません。 たまたま国であったり、その出来事が世界に影響を及ぼし...
今日は記念日です。いったい何の記念日でしょうか。 それは私が初めて大学病院へ行き、自分の体を調べていただくために入院手続きをした日なのです。 「なーんだそんなことか」と思われた方も少なくないと思います。 記念日なんてそんなものかもしれません。 たまたま国であったり、その出来事が世界に影響を及ぼし...
今、ご一緒にお読み致しました聖書の箇所において書かれている物語は、 何か不思議な感じがするかもしれません。 確かにフィリポの働きや、フィリポが見えなくなるという部分だけ切り取って読むと 不思議な物語のようにも感じます。 しかし、ここにおられるお一人お一人の人生も、 そして今、ここで同じ場に集い、...
今ご一緒にお読みしました聖書の箇所の中の「フィリピの信徒への手紙3:20」においてこのように語られています。 「しかし、わたしたちの本国は天にあります。」と。 私は2011年の5月28日の土曜日に熊本にある健軍教会で、 「小羊会」という、教会を中心とするしょうがい者の会の50周年の記念礼拝で説教者として用い...
私は九州の熊本で仕事がありました。熊本から大分へと足をのばして、 12年間メールでしかお話したことのない車椅子の同病の方にもお会いして来ました。 私が牧師ではなかったら、熊本の教会に用いられる機会もありませんでした。
「なーんだあなた、あの時いたの?」と思う時ありませんか? 別に小さかったとか、おとなしかったからという理由ではありません。 ただ、その人は私のことをご存じだったんだといことが最近2回もあり、 我ながら自分に呆れてしまいました。
私たちはいつも人々の中をただ黙って従って行く主イエスの姿を聖書のみ言から聴きます。 今ご一緒にお読みした聖書の箇所においても、イエス様は人々に逆らうことなく ただ、黙って従って行く姿を描き出しています。 主イエスの向かうのは十字架への道でした。
今ご一緒にお読み致しました聖書の箇所において、 主イエスがご自分が捕らえられることで弟子たち一人一人が散らされると言われます。 これは言い換えると弟子たちは自分を置いて逃げて行ってしまうと語ります。 「だからお前たちは弱いんだよ」とか「だめな弱い奴らだ」と罵るのではなく淡々と語られます。
いろいろ初めてのことに出合い、計画を立てる方々や、 様々な理由で計画しておられた方々がその通りにならないこともたくさん起こっています。 それら一つ一つのことに心を痛めたり心をはずませたり、 いろいろな思いが私たちにはあります。 嬉しいことも悲しいこともいろんな想いが複雑に絡み合う、 それが私たち...
いつも私たちが体験したり、見聞きするような大地震などの自然災害を、前もってわかっていれば。。。と何人かの方は思われるでしょう。 今、ご一緒にお読みしました聖書の箇所においても、イエス様に弟子の何人かが聞いています。
このようにお一人お一人と出会い、挨拶を交わす「今」というかけがえのない「とき」が与えられていますことを感謝致します。 それと同時に、今もなお混乱のただ中にあるお一人お一人のことを覚えて祈るしかありません。