第六課 キリストの教会
教会の誕生は不思議な出来事です。奇跡と言ってもよいかもしれません。何故なら、弟子たちの誰一人、教会を作ろうなどとは考えていなかったからです。復活のイエスさまに出会ってもなお、弟子たちは不安と恐れの中にいました。イエスさまを十字架につけた人々を恐れ、自分たちの未来について不安にさいなまされていたのです。ただ、「父の約束されたものを待ちなさい。」(使徒言行録1:4)というイエスさまの言葉を信じて、祈っていたのです(使徒言行録1:14、2:1)。
ところが、一緒に祈っているとき、全く突然に、激しい風が吹いて来るような音が聞こえ、炎のような舌が一人一人の上にとどまった」(使徒言行録2:1以下)のです。すると、驚くべきことに、今まで恐れと不安の中に沈んでいた弟子たちに神さまから力が与えられ(聖霊)、大胆にイエスさまのことを語り始めたのです。
しかも、そこでもう一つの奇跡が起こりました。それは、大きなお祭りの時でしたので、天下のあらゆる国から人々が集まっていたのですが、皆、めいめいが生まれた故郷の言葉で聞くことが出来たのです。集まった人々は、この事実に茫然としました。何しろ、あのバベルの塔以来、断絶してしまった人間相互の交わり(コミュニケーション)が復活したからです。同じ言語を用いても、人間相互の真の交わりは難しいのに、違った言語で話しても、生まれ故郷の言葉で聞くように理解できたのです。
その時、あのイエスさまを「そんな人は知らない!」と言って逃げてしまった臆病なペトロが、すっくと立ち上がり、群衆を前に、大胆に、口を開き、説教を始めたのです。その内容は「あなたがたが十字架につけたイエスさまを、神さまは復活させ、死の支配を打ち破られました。このイエスさまこそ、私たちを罪と死の支配から解放するメシア(救い主)です。だから、悔い改めなさい。イエス・キリストの名によって洗礼を受け、罪を赦して頂きなさい。そうすれば賜物として聖霊を受けます。」という力強いものでした。
この説教を聞いた者は、心打たれ、3000人が洗礼を受けたのです(使徒言行録2章41節)。これが、教会の始まりです。この教会が2000年の間に、世界中に広がって行ったのです。まさに奇跡を言うしかありません。