頭ではなく心で
祈り)
天の神様、新しい目覚めをありがとうございます。
今という瞬間をどう感じてどのように生きるかは、
私たち一人一人に与えられている自由です。
でも、私たちは「どうなるかはわかんないけど、何でもしていいよ」とポーンと放り出されると、
何からしようかと迷い、不安になることがあります。
でも一言、「大丈夫、私が一緒だよ」と言ってもらってから任されると、
少し勇気が出て、自分で一歩を踏み出せるような気がします。
神様、あなたはいつも私たち一人一人を信じ「大丈夫、私も一緒だよ」と
一人一人と共にいて下さいます。
いつも神様が一人一人を信じ共にいて下さることを感じ、
勇気を持って今を生きられますように。
これから語られますみ言、この語る者を通して
ここにおられるお一人お一人へと神様あなたがお語り下さい。
この語る者の全てを神様あなたへお委ね致します。
このお祈りを主イエスキリストのお名前を通してお祈り致します。
アーメン。
『「だれが主の思いを知り、主を教えるというのか。」しかし、わたしたちはキリストの思いを抱いています。』1コリント2:16
おはようございます。
「知恵」とはなんのことでしょうか。似ていますが「知識」とは違います。
今、ご一緒にお読み致しました聖書の箇所の「1コリント2:6-16」においては
繰り返し「この世の知恵」と「神からの知恵」とを語ります。
「この世の知恵」は滅びるが「神からの知恵」は滅びない。
私たちは小学校などの学校や生活の中で「知識」を身につけます。
努力をいっぱい重ねてたくさんの「知識」を身につける人もいれば、
そんな時間も余裕もなく、あまり身につけていない人もおられるかもしれません。
しかし、「知識」が多い人と少ない人、その人という人間がどうであろうと、
「知識」の量で比べられたり優劣をつけられてしまいます。
「この世の知恵」と聖書で言われているのはこの「知識」的なものです。
一方「神からの知恵」とは、すでに一人一人に与えられているから
比べることも優劣をつけることもできません。
全ての一人一人は同じように神様から知られ、恵まれています。
「神からの知恵」に満たされている今を感謝したいと思います。