祈り)
天の神様、新しい目覚めをありがとうございます。
色々な目覚めの迎え方があり、一人一人の目覚めは違います。
はっきりと周りの人にわかるように目覚める人はたくさんおられるかもしれませんが、
たとえば瞼がうまく開かず、目が開けることができないとしても、
たとえ「おはよう」と言葉がうまく人にわかるように発せないとしても、
一人一人の目覚めを神様はちゃんと受け取って下さいます。
感謝をすることを思い起こせるとき、どんなに小さなささいなことも神様が与えて下さる恵みの中を今、
生かされていることを思う事ができますように。
これから語られますみ言葉、この語る者を通して
ここにおられるお一人お一人へと神様あなたがお語り下さい。
この語る者の全てをお委ねいたします。
このお祈りを主イエスキリストのお名前によってお祈り致します。
アーメン。
【参照聖書箇所:マタイによる福音書18章1〜5節
わたしの名のためにこのような一人の子供を受け入れる者は、わたしを受け入れるのである。(5節)
寒い時に暖かさを求めたり、暑い時汗をかくことや、喉が乾いて水や飲み物が欲しくなること、いろんな小さなことが私たちの体の反応として起こります。たまに我慢をしてしまうと、それがたとえ意識されていないとしても、時期によっては熱中症であったり脱水症状であったり体に異変が起こったりして慌てます。だからこまめに水分や栄養を補給することやあまり寒かったり、暑かったりしない時間帯を選んで適度な運動をする必要があります。
それと同じように心にもこまめな休みや栄養が必要です。しかし、身体のように、熱中症になったり脱水症状は起こるのかもしれませんが、
分かりにくいし、我慢してしまうと本人にしか分からないですんでしまうので本人が我慢してしまったり、本人が我慢していることさえ忘れてしまうことがあります。皆さんがこのようにみことばに聴き祈る時間は心の水分補給をしているのです。なぜかというと神様は一人一人の心と体の健康を守るスペシャリストだからです。
今、ご一緒にお読み致しました聖書の箇所に書かれている言葉は、私たちにはもう手遅れで不可能なことなのではないかと思われるかもしれません。何も子どもにかえりなさいとイエス様が言われているわけではなく、もうすでに大人であっても子どもであっても、老人であっても、
神様にとって一人一人の人間は子どもなのです。子どもは親に大切にされ愛され信じられています。たとえ自分がそう感じることが少ないとしても命が与えられている一人一人の全ての人が神様に愛され信じられています。だから安心して生きてていい、とイエス様は言われます。
わざわざ肉体的に子どものようになることを考え悩むことは必要ありません。
今、一人一人は神様から愛され信じられています。では、私たち人間はどうすればいいのか。それは愛され信じられている命の存在として生かされて今があることを思い起こすときに、安心すればいいのです。心の水分補給をたくさんして今日も安心して生きたいと思います。