泊まりたいと言われたら~ザアカイの場合~

祈り)天の神様、清々しい朝、私たち一人ひとりに新しい目覚めをありがとうございます。
私がどんなことをしても決して私から離れることはなく、いつも愛し、共にいて下さる神様。
今を生かされていることを感謝します。
「生きてて良かった」と思う日も、「死んだほうがどんなに楽だろう」と思う日も、
神様、あなたからの愛は変わることがありません。
一人一人の存在をそのまま受け入れて、赦されておられる神様に、
少しでも心を向けられる日でありますように。

これから語られますみ言葉、この語る者を通して、ここにおられるお一人おひとりへと神様あなたがお語り下さい。
この語る者の全てをお委ねいたします。

このお祈りを、主イエスキリストのお名前によってお祈り致します。
アーメン。

【聖書】ルカによる福音書19章1節〜10節

イエスはその場所に来ると、上を見上げて言われた。「ザアカイ、急いで降りて来なさい。今日は、ぜひあなたの家に泊まりたい。」 ザアカイは急いで降りて来て、喜んでイエスを迎えた。(5、6節)

「一目あなたに」とでもいうように、ご一緒にお読みしました聖書の箇所において、当時市民から嫌われ者の仕事をしていた徴税人であったザアカイは、主イエスを一目見ようと近くにあった木に登り、主イエスがお通りになられるのを待ちます。芸能人や有名人が通る時も似たような人だかりや、いろんな人たちの思いも集まっているでしょう。そして会衆の一人一人のことなんて知るよしもありません。

主イエスは違いました。そこに集まる一人一人の思いも名前も生活も、すべてをご存知です。そして主イエスご自身が立ち止まり名前を呼ばれます。「ザアカイ降りて来なさい。ぜひあなたの家に泊まりたい。」”ザアカイは急いで降りて来て、喜んでイエスを迎えた”とあります。

簡単に書いてありますが、主イエスを目の前にしたとき、私たちはどのような反応をするでしょうか。受け入れる勇気が必要です。いつでも良いという準備も必要です。しかし、すべてのことをご存知のうえで主イエスはあなたに語りかけます。「ぜひあなたの家に泊まりたい」と。

家とはあなたの居場所であり、あなたの心でもあります。主イエスは立ち止まり、あなたの名を呼ばれます。あなたは「時」が与えられています。