肩の力をぬいて
祈り)
天の神様、新しい命、新しい目覚めをありがとうございます。
「私はもう十分生きました。そろそろ…」と思う方や、
「まだまだ私は生きたい。もう少し」と思われる方もおられると思います。
今、ここにいる私たち一人ひとりも、いろいろな思いやいろいろな経験をして、
今ここに生かされています。
その一人ひとりが、違っている思いや経験を、
神様あなたは同じように大切にして下さいます。
こんなことたいしたことないとか、くだらないことで悩むなぁ、なんて
決しておっしゃいません。
一人ひとりが感じるそのままを受け入れてくださいます。
あなたの愛は私たち一人ひとりをまるごと包んで下さるのです。
私たちは生きていてもいいと、自分をいつもそのまま許して下さる神様に
心を向けて歩めますように。
これから語られますみ言葉、この語る者を通して
ここにおられるお一人お一人へと神様あなたがお語り下さい。
この語る者のすべてをお委ねいたします。
このお祈りを主イエスキリストのお名前によってお祈り致します。
アーメン。
神様へ心を向けるとはどういうことでしょうか?
特別な修行や勉強をしなければできないことなのでしょうか。力や知識、経済力の問題ではなさそうです。それでは生まれた土地や国、時代の問題なのでしょうか。そうでもありません。特別な土地や力などがなくても神様に心を向けることができます。神様に造られたすべてが私たちに教えてくれます。自然や人の笑顔、星の輝きや木々の香りかもしれません。ただ、私たちが忙しくて心に余裕がなかったり、何か偏った価値観に振り回されている時は気づかないかもしれません。
私の家にはシンピジウムという植物の植木があります。その木の葉や花のつぼみはどの部屋に置いても部屋のどこに置いてもちゃんと太陽の方に向きます。光の方向へと向くのです。
神様に心を向けるってこのようなことかもしれません。誰かに教えられなくても、もうすでに私たち一人ひとりの魂は、自分を造って下さった神様を知っていて、いつも神様へと向いているのです。だから私たちは気負うことはありません。あなたは神様に造られている存在で心をいつも神様に向けているのです。