肩の力をぬいて

詩編9:2-11

9:2 わたしは心を尽くして主に感謝をささげ
驚くべき御業をすべて語り伝えよう。
9:3 いと高き神よ、わたしは喜び、誇り
御名をほめ歌おう。
9:4 御顔を向けられて敵は退き
倒れて、滅び去った。

9:5 あなたは御座に就き、正しく裁き
わたしの訴えを取り上げて裁いてくださる。
9:6 異邦の民を叱咤し、逆らう者を滅ぼし
その名を世々限りなく消し去られる。
9:7 敵はすべて滅び、永遠の廃虚が残り
あなたに滅ぼされた町々の記憶も消え去った。

9:8 主は裁きのために御座を固く据え
とこしえに御座に着いておられる。
9:9 御自ら世界を正しく治め
国々の民を公平に裁かれる。
9:10 虐げられている人に
主が砦の塔となってくださるように
苦難の時の砦の塔となってくださるように。
9:11 主よ、御名を知る人はあなたに依り頼む。
あなたを尋ね求める人は見捨てられることがない。

 

祈り)
天の神様、新しい命、新しい目覚めをありがとうございます。
「私はもう十分生きました。そろそろ…」と思う方や、
「まだまだ私は生きたい。もう少し」と思われる方もおられると思います。
今、ここにいる私たち一人ひとりも、いろいろな思いやいろいろな経験をして、
今ここに生かされています。
その一人ひとりが、違っている思いや経験を、
神様あなたは同じように大切にして下さいます。
こんなことたいしたことないとか、くだらないことで悩むなぁ、なんて
決しておっしゃいません。
一人ひとりが感じるそのままを受け入れてくださいます。
あなたの愛は私たち一人ひとりをまるごと包んで下さるのです。
私たちは生きていてもいいと、自分をいつもそのまま許して下さる神様に
心を向けて歩めますように。

これから語られますみ言葉、この語る者を通して
ここにおられるお一人お一人へと神様あなたがお語り下さい。
この語る者のすべてをお委ねいたします。

このお祈りを主イエスキリストのお名前によってお祈り致します。

アーメン。

主よ、御名を知る人はあなたに依り頼む。あなたを尋ね求める人は見捨てられることはない。 (詩編9:11)

神様へ心を向けるとはどういうことでしょうか?
特別な修行や勉強をしなければできないことなのでしょうか。力や知識、経済力の問題ではなさそうです。それでは生まれた土地や国、時代の問題なのでしょうか。そうでもありません。特別な土地や力などがなくても神様に心を向けることができます。神様に造られたすべてが私たちに教えてくれます。自然や人の笑顔、星の輝きや木々の香りかもしれません。ただ、私たちが忙しくて心に余裕がなかったり、何か偏った価値観に振り回されている時は気づかないかもしれません。

私の家にはシンピジウムという植物の植木があります。その木の葉や花のつぼみはどの部屋に置いても部屋のどこに置いてもちゃんと太陽の方に向きます。光の方向へと向くのです。

神様に心を向けるってこのようなことかもしれません。誰かに教えられなくても、もうすでに私たち一人ひとりの魂は、自分を造って下さった神様を知っていて、いつも神様へと向いているのです。だから私たちは気負うことはありません。あなたは神様に造られている存在で心をいつも神様に向けているのです。