世の光

祈り)
天の神様、新しい目覚めをありがとうございます。
目覚めること、それは決して当たり前のことではありません。
目覚めの時は一人一人に与えられ、その思いは一つではありません。
一人の人にとっても、昨日の目覚めも明日の目覚めも同じような時があったとしても
全く同じであることがないように、私たちはいろんな感じ方をすることや、いろんな思いを持つことは自由です。
神様、あなたに与えられている今というこの時も、かけがえのないものとして受け取り、大切に生きる私たちにして下さい。
これから語られますみことば、この語る者を通して、
ここにおられるお一人お一人へと神様あなたがお語り下さい。
この語る者の全てをお委ねいたします。
このお祈りを主イエスキリストのお名前によってお祈り致します。
アーメン。
【参照聖書箇所:マタイによる福音書5章13〜16節】
あなたがたは世の光である。山の上にある町は、隠れることはできない。(14節)
私は何のために生まれてきたのだろうか。あれもできないし、これもできないし、なんて思う事はありませんか?私はあります。私の今かかっている病気は本当にゆっくりですが、できていたことが、自分の目に見えて少しずつできなくなります。皆様の目に見えてよくわかることでは、自分の足で歩くことができづらくなっていることです。また、字を書くことができづらく、字が上手い下手のレベルではありません。数えればきりがありませんし、今の医学ではどうすることもなく、これからも不便になることがどんどん増えていくでしょう。よく「…ができないと人間じゃない」というような言葉を耳にするときがあります。自分が何でもない時は、あまり気になりませんでしたが、今はいろんなことができなくなり、考えさせられます。
しょっぱいものに塩という名前をつけたのは人間です。人間に名前をつけたのは人間です。しかし、私たちに命を与えて下さっておられるのは神様です。私たち人間は命を与えられて存在しています。だから「…ができる」から存在しているのではなくて、存在しているから「…できる」のだと思えます。
私は何のために生きているのだろうかと問う前に「あなたは神様によって命を与えられて今、存在している」という事を思い出して下さい。私たち一人一人は神様に命を与えられいる限り、一人一人は永遠に必要とされているのです。