ずっと神様と一緒

祈り)
天の神様、新しい目覚めを私たち一人一人にありがとうございます。
一人ひとりが一斉に、そして同時にパッと目覚めるわけではありません。
ましてや「この時間にあなたは目覚めるべきである」と強制されることもありません。
多少の制限がある所や状況はあったとしても、一人ひとりに任されています。
しかし、目覚めは必ず与えられます。
私たちが与えられているもの、それらはたくさんあります。
その一つひとつに不平や不満を思うよりも、たくさん感謝をできますように。
これから語られますみことば、この語る者を通して、
ここにおられるお一人おひとりへと神様あなたがお語り下さい。
この語る者のすべてを神様あなたへお委ね致します。
このお祈りを、主イエスキリストのお名前を通してお祈り致します。
アーメン。
【参照聖書箇所:ヨハネによる福音書3章1〜15節】
「それは、信じる者が皆、人の子によって永遠の命を得るためである。」(15節)
私たちは神様を見たことありません。いくら聖書にイエス様のみことばが記されていたとしても、イエス様の姿を見て確認することもできません。そのような存在である方を信じて感じることしか、今を生きている私たちにはできません。でも、逆に言うのなら、私たちは目には見えないものだからこそ、信じるしかないのです。私たちの周りにはたくさんの「見えないけど信じているもの」があります。空気や命、そして愛など。それらは見えないけど、私たちにはなくてはならないものです。見えないので信じるしかありません。
今、ご一緒にお読みした聖書の箇所において、イエス様は「新たに生まれ変わりなさい」とやさしく言われてます。それは、また母の胎内に戻って肉体的に生まれ変わることではなく、神様の価値観の中で霊的に新しくなりなさい、ということです。神様の価値観の中に入って、霊的に新しくされるって、いったいどんなことをすればいいのだろうか、と悩む必要はありません。今すでにあなたは神様に愛されて、信じられ生かされていることをただ、受け入れればいいのです。
「え、でも私にはこれもあれも足りない」と思うかもしれませんが、実は、そのままのあなたを造られたのは神様です。あなたは神様からの保証書付きの存在であり、その神様が共におられます。神様の価値観の中で霊的に新しくなるということ、それはあなたが神様に造られ、愛されていることを信じることであり、「他の一人ひとりも同じである」と言われる神様からのみ心に、あなたの心を傾けることから始まります。