一人一人が神様に与えられているもの

祈り)天の神様、私たち一人一人に新しい目覚めをありがとうございます。

今日こそは、と思う日や、明日こそは、と思う日、
今年こそはと目標を立ててみたり、
私たちはいろいろな意味で自分を奮い立たせようとする時があります。
でも、そうできない時もあります。だからと言って、時は止まってくれません。
どんなに自分で勇気を持てる時も、どんなに自分で勇気が持てない時も、
神様、あなたは変わらず私を必要として下さいます。
「自分は生きる価値のない人間だ」と落ち込んでしまう時でも、
神様、あなたは私を必要として下さると感謝できますように。

これから語られますみ言(ことば)
この語る者を通して今、み言から聴くお一人お一人へ、
そしてお一人お一人の心にあるお一人お一人へと
神様あなたがお語り下さい。
この語る者の全てを神様あなたへお委ね致します。
このお祈りを、主イエスキリストのみ名によって、み前にお捧げ致します。

アーメン

【参照聖書箇所:マタイによる福音書5章13〜16節】
あなたがたは地の塩である。(13節)

あなた方は地の塩である。とも、世の光である。とも、聖書においてイエス様は語られています。「あなた方の一人として、その他大勢の一人としての存在ではないよ。なぜなら、一人一人が私にとって大切な大切な存在だから」と、イエス様は言われておられるのです。

塩も光も私たちは日常では、あまり意識しないで使っていると思います。でも、塩も光もないと困ります。ありすぎても困る時があります。塩や光は、自分自身で努力して塩味や光を出しているのでしょうか?塩も光も、自分で努力しないでも神様がちゃんと用いて下さいます。

あなたも同じです。神様にとって、あなたはとても大切な存在です。たくさんいる人間の一人ですが、たった一人の、かけがえのないあなたという存在です。『あなたがたは地の塩である。』(マタイ5:13)そして世の光である。とイエス様は言われます。それは、一人一人はどうでもいい存在ではなく、
一人一人は神様にとってかけがえのない大切な存在で、だからこそ、塩や光のように、神様が今、用いて下さっているのです。

毎年、キリスト教会で覚えられる1月6日の日は「主の顕現日」とされています。それは、キリストイエスが生まれたことを教えられた東方の学者たち三人が、星を目印に旅をし、赤ちゃんのイエス様と出会った日とされています。「主の顕現日」それはキリスト(救い主)がイエスという名前を与えられて、この世にお生まれになられたことが人間社会に示された日でもあるのです。それは地の塩であり、地の光である私たち一人一人が、神様に大切にされ、必要とされていることをイエス様との出会いを通して示されるためでもあります。

今、現在という時代を生きている私が、どうしてイエス様に出会うの?必ず、あなたは出会います。今、みことばを通して。そして地の塩、地の光の一人一人を通して。だって、神様が全ての一人一人を用いられておられるから。