あなたと共に

祈り)天の神様、私たち一人一人に新しい目覚めをありがとうございます。
自然の姿が大きく見えたり小さく見えたり、自然の力が恐ろしく感じたり、やさしく感じたり。
自分なんてちっぽけに感じたり大きく感じたり。
私たちは昨日見た同じ物が違って見えたりします。それはなぜでしょうか。
それは一人一人の心にも目があるからです。どちらの見え方も本当です。
身体にある目も心にある目も、私の目として神様は大切にして下さいます。
形ある見えるものも、形なく見えないものも受け入れる落ち着きを与えて下さい。

これから語られますみことば、この語る者を通して今、聖霊のお導きによって
聖書から聴くお一人お一人と皆さんの心にあるお一人お一人へと神様あなたがお語り下さい。
この語る者のすべてを神様あなたにお委ねいたします。

このお祈りを主イエスキリストのお名前を通してみ前にお捧げ致します。
アーメン。

【参照聖書箇所:マタイによる福音書8章1〜4節】
イエスが山を下りられると、大勢の群衆が従った。(1節)

ある朝、私は風の音で目覚めました。いつもより大きな音のする強い風でした。あれは大丈夫かな、これはどうだろうかと心配で外を見ましたが、草や花、木々は一本も折れないで、ただ風に揺れていました。私たちは見えないもの形がないものにであうと、想像の中で恐怖に怯えたり、逆に喜んだりすることが多いような気がします。でもイエス様は違います。私たち一人一人が従えるように見える所におられ、私たち一人一人が近づことができる所に必ずおられます。だってあなたと共におられるからです。

 私は今、与えられた聖書のみことばから聴いたとき「出待ち?」と思いました。イエス様は今で言うアイドル的な存在でもあって、大勢の群衆はイエス様が山を下りていらっしゃるのを今か今かと待ちわび、山を下りて来たイエス様に従ったのだろうと想像を膨らませ、心でついニヤけてしまいました。イエス様は、マスコミやファンを出し抜いて他の道から帰ったり変装して逃げるようなことはしません。私たち一人一人が近付けるように見える所にいて必ず共にいて下さいます。私たち一人一人を心でみて下さっておられるのです。

重い皮膚病を患っている人がイエス様に近付けたように、大勢の群衆が従えたように、イエス様はあなたと共におられます。
あなたが必要な距離をイエス様は大切に守って下さいます。