丸ごとのあなたを
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祈り)天の神様、新しい目覚めをありがとうございます。
明日の朝ここで私は目覚めることはできるのだろうか、あの人はどうだろうか、この人は…、と不安になる時があります。
しかし、必ず目覚めは与えられます。
どこであっても、そしてたとえ自分が想像していなかった所であったとしても神様、あなたがおられます。
目覚めが与えられる。それがあなたからの恵みであることを感謝できますように。
これから語られますみことば、この語る者を通して今、
聖霊のお導きによって聖書から聴くお一人お一人と皆さんの心にあるお一人お一人へと
神様、あなたがお語り下さい。
この語る者の全てを神様あなたにお委ねいたします。
このお祈りを主イエスキリストのお名前を通してみ前にお捧げ致します。
アーメン。
【参照聖書箇所:コリントの信徒への手紙一 15章50〜58節】
わたしたちの主イエスキリストによってわたしたちに勝利を賜る神に、感謝しよう。(57節)
勝利しようって、神様なのに勝ち負けなわけなの?確かに聖書には『死は勝利にのみ込まれた。』(1コリント15:54)とも語られています。エー!死なせてくれないの。そのようにも思われる方もおられるかもしれません。ただ、聖書で語られているのは「肉体の死だけが命の滅びではありませんよ」ということです。そのことをもイエス様は十字架の死から復活されることで私たちにお示しになられました。私たちは、やがて朽ちていく形あるものと、永遠に朽ちることのない形ないものでできています。見えて形がある方ばかりに気をとられて、見えないで形ないものは、あまり気にしていないかもしれませんが、両方ともあなたという人間の存在を支えてくれています。
透明人間になりたい。って思ったことがあります。何かあまり良くない事をやってしまい怒られた時や、誰かに隠れて内緒にしたい時。でもある時に読んだマンガで、主人公が自分の予期もしない時、他の人から見えない存在になってしまい、はじめは見えない事を良いことにいたずらをしたりして楽しんでいたのに、そのうち自分の存在が忘れられると寂しくなる、というようなストーリーでした。それを読み、幼いなりにどっちもどっちなんだなって思った覚えがあります。
私たちには見える形ある存在も見えない形ない存在も必要です。どちらか一方にだけ偏って一方を否定する時や無視する時、忘れてしまう時があるかもしれません。しかし、神様は違います。見えない形のないあなたという存在も、見える形あるあなたという存在も大切なかけがえのない一つのあなたという存在として愛されておられます。