いつもあなたの心に寄り添って
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祈り)天の神様、私たち一人一人に新しい目覚めをありがとうございます。
私たちは目に見えて、手で触れる形あるものにだけに心が奪われることが多いですが、
私たちの周りには目に見えない形ない大切なものもたくさん溢れています。
形あるものも形ないものも、私たちには大切で必要なものです。
私たちがどちらか一方だけに捕われる時でも、
神様あなたが私たちのために祈り支えて下さっておられることを思い起こすことができますように。
これから語られますみことば、この語る者を通して今、
聖霊のお導きによって聖書から聴くお一人お一人と皆さんの心にあるお一人お一人へと神様あなたがお語り下さい。
この語る者のすべてを神様あなたにお委ねいたします。
このお祈りを主イエスキリストのお名前を通してみ前にお捧げ致します。
アーメン。
【参照聖書箇所:ルカによる福音書24章13〜35節】
話し合い論じ合っていると、イエス御自身が近づいて来て、一緒に歩き初められた。(14節)
イエス様って私たちにイエス様の方から近付いて来て共に歩んで下さっているんですね。そして、驚いたことに悩んでいる私の心に「どうしたの?」と言って寄り添って下さる。私は、そのようにいつも私の心に寄り添って下さるイエス様に気付いているのでしょうか。私が気付いても気付かなくても神様であるイエス様はいつも私と共にいて下さいます。
私たちは自分自身より自分以外の身近な人に「どうしたの?」と声をかけることが多いような気がします。私の知人でも自分が身体の調子が悪いのにはあまり構わず、その人自身の知人の心配をする光景を良く目にすることがあります。
でもイエス様は違います。いつもあなたに心を配り、あなたの心に寄り添い、いつもあなたと共に歩んで下さいます。あなたがたとえ気付いてくれなくても、イエス様はいつもあなたと共におらるのです。そして、どんなに長く感じても短いとしても、絶望の時、孤独を感じる本人には関係ありません。イエス様も同じです。あなたが絶望や孤独を感じるどんなに長い時間でもたとえ短い時間でも神様であるイエス様には時間の長さや短さも悩みの深さも関係なく、神様であるイエス様は大切なあなたと共にいて下さり、あなたの心に寄り添っていて下さいます。
「どうしたの?大丈夫だよ私があなたと共にいるから」