いつもあなたの心に寄り添って

祈り)天の神様、新しい目覚めと新しい命、そしてこの一瞬一瞬を与えて下さりありがとうございます。
「今、私は生きています」と思う時、「今、自分は生かされています」
と思う時、同じ”命”を思います。
でも「与えられている命なのだから、大切に生きます」と思うと、
”命”というものが与えられて、私や他の人たち一人ひとり同じように生きている、
一人ひとりが宝物を持っているのだと思わされます。
当たり前のように思っていましたが、神様は”命”という宝物を一人ひとりに与えて下さり、
その宝物を持つ一人ひとりに思いを寄りそわせて下さいます。
私たち一人ひとりが神様、あなたに感謝しながら今を精一杯生きることができますように。

これから語られますみことば、この語る者を通して
神様あなたが、ここにおられるお一人お一人へとお語り下さい。
この語る者のすべてを神様あなたへお委ね致します。

このお祈りを主イエスキリストのお名前を通してみ前にお捧げ致します。
アーメン

【参照聖書 マタイによる福音書26章31〜35節】
イエスは言われた。「はっきり言っておく。あなたは今夜,鶏が鳴く前に、三度わたしのことを知らないと言うだろう。」(マタイ26:34)

「あら、イエス様って怖いくらいすごいのね。ペトロさんの行動を言い当ててしまうなんて!」と戸惑う方も少なくないと思います。その中には「さすが神様」と思われる方も「いくら神様でもやりすぎでしょう」と思われる方もおられ、一人ひとりの感じ方は違っているのではないかと思います。でも神様は一人ひとりの思いに寄り添われ、一人ひとりの思いをわかっておられます。だからそれは何もペトロさんだから特別に起こっているわけではありません。「鶏が鳴く前に三度自分のことを知らないとあなたは言う」なんて些細なこと誰がわかるのでしょうか。しかし、神様にはわかります。

 私たちは「こんな思いを誰もわかってくれない」と孤独に苛(さいな)まれることが多いように思います。でも心配することはありません、誰もわかっていないことは一つもないからです。誰よりも傍(かたわら)にいらして一人ひとりの心に寄り添って下さっている神様が、あなたの思いや気持ちをそのままわかって下さっています。

ではなぜ、聖書には特別にペトロさんへのイエス様の言葉やその後に起こるペトロさんの後悔の記事が載っているの?イエス様の言葉がペトロさんだから特別に載ったわけでも、イエス様が予想された通りにペトロさんが行動したから載ったのでもありません。ほんの小さな心の動きでも、大きな心の動きでも、いつも一人ひとりの心に神様が寄り添って下さっているから、ペトロさんが思い起こしたことも大切なことの一つとして聖書に語られているのです。

 今、私たち一人ひとりに語られている「みことば」は、神様が私たちをいつもいつも見張っておられると語るのでは決してなく、神様はいつも私たち一人ひとりの心に寄り添っていて下さり、一人ひとりの思いをわかっていて下さると言うことも語りかけています。

 私たち一人ひとりは決して孤独ではありません。