あなたは私に必要な存在です

祈り)天の神様、私たち一人一人に新しい目覚めをありがとうございます。
「今日もいい天気だ一日がんばろう。」といつも思えるわけではありません。ただ、いつもこう思って一日を始めたいと思うことはたくさんあります。
どういう一日が待っているか誰もわかりません。ただ、私たち一人一人を大切にしてくださる神様が与えてくださる一瞬一瞬です。
そのことを思い起こし勇気を持って生かされていかれますように。

これから語られますみことば、この語る者を通して神様あなたがここにおられるお一人お一人へとお語り下さい。
この語る者のすべてを神様あなたへお委ね致します。

アーメン

【参照聖書箇所:マタイによる福音書21章1〜11節】「向こうの村へ行きなさい。するとすぐ、ろばがつないであり、一緒に子ろばのいるのがみつかる。それをほどいて、わたしのところに引いて来なさい。もし、だれかが何か言ったら『主がお入り用なのです』と言いなさい。すぐ渡してくれる。」(マタイ2〜3節)

 イエス様はエルサレムという当時の都に入られる時にろばを必要とされます。イエス様は足が痛くて歩けなかったのでしょうか?理由はイエス様にしかわかりません。ただその時にイエス様は子ろばを必要とされました。しかも子ろばと一緒にいたろばも共に引き連れて来られることで、子ろばには必要な安心も与えられました。

 「私にはあなたが必要です。」なんて人に言われた方も少なくないかもしれません。でも神様であるイエス様に「わたしにはあなたが必要です。」と言われたことのない方は一人もいません。命あるすべての一人一人の方が神様に必要とされているからです。

 私はこのようなことを言われたことがあります。「娘は神様に必要とされないから死んだのでしょうか?」その時にどのような言葉を選んでお伝えしたのか、具体的な言葉は覚えていません。しかし次のような思いをお伝えしたと思います。「神様は見えて形あるものも、見えないで形無いものも、命在るものを必要とされます。神様に必要とされない命の存在は無いのではないでしょうか。」神様に必要とされる命の存在は見える見えないとか形がある無いは関係がないのです。ただ、一つ一つの命は大切に神様によって造られるのです。神様の持たれる目的のために必要なのではなく、あなたがあなたであることが大切であり、神様はそれを必要とされるのです。

 神様は今、何が何でも手段を選ばずに子ろばを引き連れて来られるようにではなく、聖書で語られている子ろばのように、私たち一人一人も安心して生きるそのままを必要とされるのです。神様は言われます。「わたしにはあなたが必要です。」