神様は羊飼いのように私たち一人一人を大切にして下さる

祈り)天の神様、私たち一人一人に新しい目覚めを与えて下さりありがとうございます。
私たちは日常の中を生きています。
「この命はどこから来てどこへ行ってしまうのだろうか」なんてあまり考えないで、なんとなく生きているような気がします。
そのような時もあれば、辛くてどうしようもない時や悲しい時や苦しい時は「どうして生まれて来たのだろう」とか「いつまでこの苦しみが続くのだろうか」と誰かに教えてもらいたいようなどうしようもない気持ちになる時もあります。
しかし、神様はなんとなく生きてしまっている私も、辛く悲しくて生きるのに疑問を持つような私も「あなたは私にとって大切な存在だと」共にいて下さいます。
いつも変わらずそのままの私を愛して下さる神様に心を向けられますように。

これから語られますみことば、この語る者を通して、ここにおられるお一人お一人へと神様あなたがお語り下さい。
神様あなたにすべてをお委ね致します。

このお祈りを主イエスキリストのお名前によってお祈り致します。
アーメン。

【参照聖書箇所:詩編23篇】
主は羊飼い、わたしには何も欠けることがない。
主はわたしを青草の原に休ませ 憩いの水のほとりに伴い 魂を生き返らせてくださる。
主は御名にふさわしく わたしを正しい道に導かれる。
死の陰の谷を行くときも わたしは災いを恐れない。
あなたがわたしと共にいてくださる。
あなたの鞭、あなたの杖
それがわたしを力づける。(1〜4節)

このみことばは、ベッドに寝たきりになられ、昔から聖書の言葉に親しまれておられる方々のお部屋を訪ねたとき、私がよく朗読する箇所です。ほとんどの方がこの言葉から慰めを受けられ、好きなみことばとして読まれている箇所の一つです。

しかし、あまり聖書に親しまれておられない方々にとっては「”主”って何?」「”羊飼い”?見たことない。」「聖書だからきっといいこと言ってるんだろうなぁ」と思われるくらいかもしれません。「なぜこの箇所から慰めを受けるんだろう」と思われる方も少なくないのではないかと思います。でも、いくら聖書に親しまれておられない方々でも「魂」や「死」という言葉ぐらいはご存知だと思います。

”主”とは神様のことです。”羊飼い”は聖書の書かれた時代や地域では身近な人たちだったようです。でも、そのことを直接知らなくても意味はわかります。羊飼いは羊にとっては必要であり信頼している存在です。羊にとって食べ物や水のある自由で安全な場所へと導いてくれる存在なのです。主である神様は私たち一人ひとりの造り主です。もちろん一人ひとりの魂をも大切にして下さる愛のかたまりです。その神様は十字架にかかって一度私たち人間と同じように死にましたが、復活され今も生きておられます。だから私たちが死んでも神様はそこにも共におられるのです。

もう一度、はじめにお読みしたみことばを味わってみて下さい。神様は愛に満ちていつもあなたと共におられます。神様とあなたの愛の関係はたとえ死であろうとも妨げることはできません。なぜなら、あなたは神様の愛にとらえられているからです。