いつもここにいます
【参照聖書箇所:マタイによる福音書9章35〜38節】
だから、収穫のために働き手を送ってくださるように、収穫の主に願いなさい。(38節)
とある日の夜中、病室の向かいのベッドのカーテンの向こうで看護師さんに訴えている声が聴こえてきました。「こんな痛い思いをするのなら殺して」そのような時、苦しみのただ中におられる人に「神様に祈りなさい。」なんて言えるでしょうか。私はただ黙って、その人のために祈るしかできませんでした。
今ご一緒にお読み致しました聖書の箇所において主イエスキリストはこのように語られます「だから、収穫のために働き手を送ってくださるように、収穫の主に願いなさい。」(マタイ9:38)
「ほら、やっぱり人数を増やしてもらうように神様にお願いするようにイエス様が勧めていらっしゃるじゃない。」と思われる方もおられるかもしれません。でもイエス様は初めに誰に心を向けることを私たちに語っておられるでしょうか。願い事が先にあるのではなく神様に心を向けることが大切なことであるとイエス様は私たちに語られているのです。
私たちは辛い時,苦しい時,自分の願い通りになるように神様に祈る時があるような気がします。願いを持って祈ることがいけないわけではありません。ただ自分を一番大切にして下さる方がおられることを、そして私たちを大切にされておられるからこそ私たちに一番ふさわしいものを与えて下さる方がおられることを思い起こすことが、私たち一人一人に慰めを与えてくれるのではないでしょうか。
痛みの現実にある時も、笑っていないと自分や周りの人たちを支えられないと思う時も、どんな時も、あなたを大切に思いあなたを支えて下さる方が今もあなたと共におられます。神様が言われます。「私はいつもあなたを大切に思っています。だから安心してていいです。私はいつもあなたと一緒にいます。」