与えられている命を生きる

祈り)天の神様、私たち一人一人の全ての者に新しい目覚めをありがとうございます。
私たちにとって「今」というこの時は二度と無いかけがえのない時です。
だからと言って一瞬一瞬を緊張して過ごすとしたら、とてもとても疲れてしまいます。
神様に「この一瞬一瞬を与えてやってんだから大事に使えよ」ともし、言われていたとしたら、私たちは「そんな恵みはいらないよ」と、もしかしたら神様に突き返してしまうかもしれません。
神様からの恵みは恩着せがましいものでも、私たちが弱いからしょうがないからと言って与えて下さっておられるものでもありません。
神様が大切にされている一人一人だからこそ与えて下さる無条件の愛です。
一日一日をなんとなく過ごしていても神様が共にいて下さる「今」を感謝できますように。

これから語られますみことば、この語る者を通してここにおられるお一人お一人へと、
そしてそれぞれの心にある方々お一人お一人へと神様あなたがお語り下さい。
神様あなたにすべてをお委ね致します。
このお祈りを主イエスキリストのお名前によってお祈り致します。
アーメン

 

【参照聖書 コリントの信徒への手紙一 2章6〜16節】
わたしたちには、神が“霊”によってそのことを明らかに示してくださいました。“霊”は一切のことを、神の深みさえも究めます。(10節)

「あなたの命は誰のものですか?」と聞かれたとしたら、あなたは何と答えますか?急にこのような質問をされた時、うろたえるのかもしれません。「そんなことわかりきっているよ」と怒るかもしれません。今は自分のものだからです。ただ、あなたという命が胎の中に在ることをお母さんが知った時、「命を授かった」と言います。誰に?どうして?今はあなたのものであると感じていても、あなたの命は与えられたものだからです。

今ご一緒にお読み致しました聖書の箇所においてパウロが「この世の知恵」「神様から与えられた知恵」と二つの違う知恵があると私たちに伝えているようにも思えます。随分、難しいことを聖書では語っているんだと考え込んでしまう人もおられるかもしれません。私もその一人です。そして神様からの霊によらなければ神様のことを知ることはできないとも語ります。

私たちは神様によって造られ神様から命を与えられました。だから神様を知っており神様も一人一人をご存知です。特別に何かを身につける訓練をしなくても神様からの霊が一人一人に働いています。だから命についても私たちは霊の導きで知ることができます。あなたの命はあなたのものです。しかし神様から与えられた大切な命です。生かされている命を生きる。それが神様から与えられた霊が教えてくれる大切なことの一つです。

そして今も、あなたは決して一人ではありません。あなたに命を与えて大切にして下さる神様が共におられるからです。