空っぽのような心を満たすもの
祈り)
天の神様、私たち一人ひとりに新しい目覚めをありがとうございます。
私たちはあなたから与えられるたくさんの出会いの中で生かされています。
「今年はまだ7月なのに暑い」という言葉の中でも
「今までにこんな暑さ経験したことがない」というような気持ちが語られています。
その時の自分の気持ちによって素敵な空に見えたり、
新しい自分を発見したり、人と出会ったり。
一つ一つが神様あなたから私たち一人ひとりに与えられる
かけがえのないものであることを感謝できますように。
これから語られますみ言、この語る者を通して
ここにおられるお一人お一人へと神様あなたがお語り下さい。
この語る者の全てをお委ねいたします。
このお祈りを主イエスキリストのお名前によってお祈り致します。
アーメン。
無垢な人の生涯を 主は知っていてくださる。彼らはとこしえに嗣業を持つであろう。
詩編37:18
おはようございます。
今ご一緒にお読み致しました聖書の箇所「詩編37:7」において詩人はこのように語ります。「沈黙して主に向かい、主を待ち焦がれよ。」と。
「沈黙して」と言われても何だかピンと来ないし、それは時と場合によるのではないかと思うのではないでしょうか?
でも心を主に向けていたいし、どうすればいいのだろうと思う方も少なくないと思います。
「沈黙する」とはどういうことなのでしょうか。
最近、過呼吸という症状を起こす方が多いと聞いたことがあります。息を吐くのを忘れて息を吸ってばかりいると過呼吸を起こすそうです。
私は幼い頃にピアノを習ってました。焦ると一拍休むところを半拍で進んでしまうらしく、ピアノの先生によく「一だけではなく一とう二とうと数えなさい」と言われたことを思い出します。「一」だけでは息を吸うだけの拍しかありません。しかし、「とう」を入れると息を吸って吐くための拍ができます。息を吐く時は落ち着きを必要とし、時にはゆっくりした時間も必要になります。逆に長く声を出そうとしたら深く大きく息を吸い込みます。
「沈黙する」とは、息を吐いて空っぽの自分にするということではないでしょうか。空っぽの心をただ神様に向ける。そうすれば神様に与えられる全てのものが、あなたの体中に染み渡り溢れ出ます。神様があなたから溢れ出た全てのものをお用い下さいます。
「主を待ち焦がれよ。」と詩人は語りますが心配は要りません。あなたが神様を待ち焦がれるよりずっと何倍もの大きさで、神様があなたを待ち焦がれて待っています。
そのことに私たちはただ信頼すればいいのです。