私たちが祈る前から
祈り)
天の神様、私たち一人ひとりに新しい目覚めをありがとうございます。
朝晩の冷え込みが増ましてきました。
朝、布団の中の温もりが心地よく感じます。
真夏のような暑さは過ぎ、布団の中で感じるような小さな温かさが今、与えられています。
このようなことと同じように、私たちは歳を重ね、
小さなときはできなかったことが大きくなってできるようになったり、
できていたことができなくなっていったり、
いろんな自分と出会い、いろいろな思いを持ったりします。
でも失っていくものばかりのことを悲しむのではなく、布団の中で感じる小さな温もりのように
今、自分に与えられているものを感じる心を今日も与えて下さい。
これから語られますみ言、この語る者を通して、
ここにおられるお一人おひとりへと神様あなたがお語り下さい。
この語る者のすべてをお委ねいたします。
このお祈りを主イエスキリストのお名前によってお祈り致します。
アーメン。
すぐれて大いなるものとしてくださるでしょう。(詩編71:21)
今もこのようにして皆様と心を合わせ礼拝ができますことを、今日も嬉しく感じています。神様に、そして皆様に感謝したいと思います。
さて、今ご一緒にお読み致しました聖書の箇所の中の「詩編71:21」において詩人はこう詩っております。「ひるがえって、わたしを力づけ。。。」と。「翻る」と「振り返る」って何が違うのか。そのようなことを思った時、私は国語辞書を何年かぶりに開いてました。皆様はどう思われますか?辞書には「翻る」は、飛んで振り返るとか喜んで振り返る様、「振り返る」は反対を向くなどと書いてありました。
神様は私たち人間に喜んで向き合って下さるのです。
祈りが詩われたり、私たちが祈る時、いかにも私たちが待っているかのように祈りますが、実は私たちが祈る前から、私たちの心が神様へと向けられる事を神様は待っておられるのではないかと思いました。「振り向く」という言葉は「私が気づいて振り返ること」を言いますが、神様が私に翻ると表現される言葉は「私たちが神様に気づき心を向ける時、神様は喜んで私たち一人ひとりと向き合う」と解釈ができます。
私たち一人ひとりの心がご自分へ向けられることを神様は待っておられます。そして、一人ひとりの祈りに翻って、一人ひとりを力づけて下さるのです。