あなたはあなたのままで
祈り)
天の神様、新しい目覚めをありがとうございます。
虫の声が元気に聞こえたり寂しそうに聞こえたり、
私たちが感じること、それは実は自分の心の状態を映していることがたくさんあります。
自分で自分がわからないときやわかりたくもないとき、
生きていればいろんなときが私たちにはあることを、神様、あなたはご存知で
そのままの私を受け入れて下さいます。
いつも素(す)の私を受け入れて下さりありがとうございます。
神様、あなたに受け入れていただいている自分を愛せますように。
これから語られますみ言、この語る者を通して
ここにおられるお一人おひとりへと神様、あなたがお語り下さい。
この語る者の全てをお委ねいたします。
このお祈りを主イエスキリストのお名前によってお祈りいたします。
アーメン。
「皆さん『喜び』を表現して下さい。」と言われたらどうしますか?
笑う人もいれば踊る人もいるかもしれませんが、大声で叫ぶ人や泣く人もおられるかもしれません。今、ご一緒にお読みいたしました「詩編47編」の詩は「すべての民よ手を打ち鳴らせ。神に向かって喜び歌い、叫びをあげよ。」という詩から始まっています。
なんだか「飲め飲め、今日はめでたい」とドラマの中で言う俳優の台詞と同じような気がします。
「お酒が飲めなかったらどうするのよ」とか「歌えない人は喜べないの?」という問題ではありません。はじめに皆さんにお聞きしたように、表現の仕方は人の数だけあって、どんな表現の仕方であろうと「喜んでいる」のです。
先日、友人からこのような質問を受けました。「あなたには『こだわり』ってある?」という質問です。私の中で持っていた昔の『こだわり』と、最近の『こだわり』が変わったように、私と彼女の『こだわり』は違うのではないかと思うと気軽には答えられなくなりました。
「喜び」の表現の仕方はたくさんあります。人によって違っていてもいいことです。誰かと比べて批判することでもありません。ただ、「喜び」であることには変わりません。神様への感謝の喜びの表現の仕方も一人一人違っていいのではないでしょうか。あなたが心を込めて表現するのであれば。
神様は、あの喜び方ならいい、これはだめだなんて比べて受け取ったりされません。一つひとつの「喜び」を同じように受け止めて下さいます。