この世の終わりと聖書 ~惑わされないで~
土の香りや陽の光、風の音。時には激しく怖く感じられ、時にはやさしく語りかけ私たちを包む温もりに感じる時もあります。自然が大きく恐ろしく感じられたり、その自然がやさしく感じたり。神様から与えられる全てを通して、私たち一人一人に与えられている今を感じることが許されています。神様あなたが今というかけがえのない一瞬一瞬を私たち一人一人に与えて下っていることを感謝できる今をありがとうございます。
これから語られますみ言、この語る者を通してここにおられるお一人お一人へと、またお一人お一人の心にあるお一人お一人へと神様あなたがお語り下さい。神様あなたに全てをお委ね致します。
このお祈りを主イエスキリストのお名前によってお祈り致します。
アーメン
ひそかにイエス様に終わりの時の徴(しるし)について聞く弟子たちに、「私はあなた方一人一人と共にいて、全てを与えているじゃないか、まだわかってくれないのか。」とイエス様は言われません。ただ、「人に惑わされないように気を付けなさい」と言葉を続けられます。
私たちはつい目に見える徴や、自分の常識の中で理解できる計算や数字に流され、「わかった!」と全てを解決したくなるのではないでしょうか?でも、イエス様のみ言がわかりにくいときがあります。「私ってだめだなぁ」って悩むことも悲しむことも必要ありません。あなたと共にイエス様がおられるからです。
しかし、まず、福音があらゆる民に宣べ伝えられねばならない(マルコ13:10)
「何をのんきなことをおっしゃってるのイエス様」なのではありません。
「ついつい見てしまうこの目がなければいい」「常識なんか持たないほうがいい」なんて悩んだり悲しんだりするその”あなた”、そのままの”あなた”と「イエス様は共にいて下さり、共に歩んで下さるのです」と伝えていくこと。それが福音を伝えることでもあるのです。
福音が伝えられる人には、目に見える徴や自分の常識の中で理解出来る計算や数字はいりません。あるのはイエス様は必ず自分と共にいて下さるという安心です。
イエス様と共に歩める今を感謝して生きましょう。