聖書の愛とは ~神様がしたように~
そして今日このホームは90歳を迎えました。遠い異国の人やこの日本の一人一人の祈りや愛によって建てられ今を迎えております。90歳という歳は今ではあまりめずらしく感じる年月ではないかもしれません。しかし、確かに神様あなたからの愛がたくさんの方の祈りや奉仕を通して今ここに生かされています。私たち一人一人神様あなたへの感謝を新たにして一瞬一瞬を大切に生きていけますように。
これから語られますみ言、この語る者を通して、ここにおられるお一人お一人へと神様あなたがお語り下さい。この語る者の全てを神様あなたへお委ね致します。
このお祈りを主イエスキリストのお名前を通してお祈り致します。 アーメン
おはようございます。今日は今お祈りに覚えましたようにこの老人ホームが建てられて90年を迎えます。90年もの間どのようにしてこの老人ホームは用いられ続け、そしてこれからも生き続けていくのでしょうか。
私が「生きる」と表現しましたように建物だけの問題ではなく、この老人ホームに住まわれるお一人お一人を、またホームに住まわれる方々に限らずにお一人お一人を大切にしたいという『思い』が生きています。その『思い』の中心になっているのは今朝ご一緒にお読み致しました聖書の箇所「ヨハネ13:34.35」の中に神様が「わたしがあなたがたを愛したようにあなたがたも互いに愛し合いなさい」と言われていることの実現です。
「愛」とは「大切にすること」でもあります。一人一人が自分自身が他の人を大切にする思いを実現するにはいろいろなかたちがあります。祈りであったり微笑みであったり言葉かけであったり様々です。この老人ホームも一人一人の祈りや奉仕で今も生かされています。
神様は「あなたが勝手に自分が愛だと思っていることをしなさい」とおっしゃっているわけではありません。神様は「わたしがあなたがたを愛したように」と言われています。
神様に心を向け、自分も神様に生かされ大切にされている存在であることを覚えるときに、一人一人の小さな祈りが神様に用いられます。