第三課 バベルの塔が意味すること

彼らは、『さあ、天まで届く塔のある町を建て、有名になろう・・・』              創世記11章4節

人間がバベルの塔といわれる高い塔を建設したという物語が創世記に書かれていますが、ただ単に高い塔を建てたことを記したのではなく、これもまた人間の営みに対する警告を含んでいます。どんな警告かというと、人間自分を誇示して他に抜きんでて有名になろうとする傾向を持っているそれは結果として人間が使用する言葉のちがいとなって現れ、互いに通じ合うことができなくなった。そこに世の中混乱生じという警告を含む物語なのです。くに際だった出来事のように思えない塔建設の物語に、実は人間が持つ争い事や、コミュニケーションの断絶といった重要な問題が、どこから生じたにかを教えているのです。聖書の卓越した知恵を、ここに発見します。

物語の冒頭は「世界中は同じ言葉を使って、同じように話していた」(同上1節)という書き出しから始まります。人間の世界の理想的な姿ではありませんか。どこへ行っても同じ言葉が使われていれば、こんな便利なことはありませんね。しか、現実はそうではありません。アメリカへ行けば英語、中国へ行けば中国語、ドイツへ行けばドイツ語を話さなければ意志は通じません。ですから外国へ行くためには、まず言葉の壁を乗り越えるためにとても苦労します。海外への留学や海外への事業展開をするために、まず必要とされるその国の言葉の習得が先決問題となるのです。わたしたちはこれを当たり前と思っていますが、本来なら外国語習得のためのエネルギーを使わないですむなら、どれほど効率的に仕事ができることかと思います。

そのような、相互のコミュニケーションの不通は、何によって起こったにかをバベルの塔物語は「さあ、天まで届く高い塔のある町を建て、有名になろう」という人間の思いから始まったと言うのです。つまり人間は、世界中だれでも同じであることがいやだったのです。特別に自分たちの町だけが目立つように、そしてその名が知られるようになりたいと思ったのです。それが、バベルの塔を建てるという企てになったというわけです。

でもその結果はどうだったでしょう。それぞれの町が自分たちだけの塔を建てたことで、結局は自分たちの町だけが良ければよいという結果を招いてしまったのです。これが今日の国や、民族、言葉を生みだした原因であると聖書は言っているですね。もちろん、これは歴史的な考証に基づく研究とはちがっていますが、国や民族や言葉がちがっていることから起こる争い、コミュニケーション不足による誤解などは、人間が自分たちだけがうまくいけばよい、自分たちだけが有名になればよいという自己中心的な考えが根本にあるのだということを明らかにしているのです。これが聖書のすごいところでこんなことは学問の世界からは出てきません。

言ってみれば、今日の世界の争い、行き違い、誤解といったことは、つまるところ人間の自己中心性に由来するということなのです。この自己中心性はどのようにすれば、克服できるのか、これこそが聖書全体がわたしたち教える真理なのです。